コラム・寄稿戦争を拒否する「文民」が「力の支配」への抑止力 蟻川恒正さん寄稿印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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世界では大国が我が物顔に振る舞い、国内でも人々の自由が脅かされる。「法の支配」が軽んじられ、「力の支配」がまかり通るいまの時代をどう見たらいいのか。憲法学者の蟻川恒正さんが寄稿した。 ◇ 「女神よ 歌え アキレウスの怒りを」 トロイア戦争の9年目。アカイア軍最強の戦士アキレウスは、神による疫病の蔓延(まんえん)を止めるため、傲慢(ごうまん)、強欲、理不尽な総大将アガメムノーンが戦利品として得た美しい女性奴隷を、神官である父親の下に返させる。だが、代わりに、妻同然の自らの女性奴隷をアガメムノーンに差し出すよう命じられると、激高し、戦線を離脱。その強烈な自尊心は、アカイア軍を崩壊寸前にまで陥らせる。 これが、西洋文学の起源に屹立(きつりつ)する叙事詩『イーリアス』劈頭(へきとう)に描かれる、主人公アキレウスの怒りである。われわれは、今、アガメムノーンの傲慢、強欲、理不尽を倍加したような人物がアメリカ合衆国大統領として主人公を僭称(せんしょう)する世界に生きている。権力者が「自分を止められるものは自分の心だけだ」とうそぶく世界で、何が彼らの抑止力となるのか。 ■ ナチスドイツが暴虐の限りを尽くした1940年のフランスで、ぼろぼろになった『イーリアス』一冊を背囊(はいのう)に忍ばせ、パリを離れた国内避難民シモーヌ・ヴェイユは、その年発表した論稿の第一行を、この叙事詩の真の主人公は英雄ではなく、力である、と書いた。 力は、それを振るわれる者を物にするだけでなく、振るう者をも物にする。『イーリアス』が、圧倒的な「力の支配」を活写しながら、「力の支配」を決して絶対視してはいないことを読みとるヴェイユは、どうすれば「力の支配」に敬意を表しないことができるかを知ることが、文学が与えうる最高の恵みであると説いた。 アキレウスもまた、「力の支…この記事は有料記事です。残り3157文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする







