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世界3大映画祭の最高峰と評される、第79回カンヌ国際映画祭が12日夜(日本時間13日未明)、フランス南部のカンヌで開幕しました。 今回は、日本人監督による映画が大豊作。最高賞パルムドールを競うコンペティション部門に3作品が出品されるほか、革新的な作品が集まる第2コンペの「ある視点」部門や、著名監督らの作品を特別上映するカンヌプレミア部門にも作品が選ばれています。 注目の映画祭の模様を、授賞式がある23日(日本時間24日未明)まで、現地からタイムラインでお伝えします。※表示は現地時間15日17:16「急に具合が悪くなる」、原作者も号泣【動画】「急に具合が悪くなる」上映後、スタンディングオベーションに応える濱口竜介監督ら=小峰健二撮影 濱口竜介監督による日仏など合作の「急に具合が悪くなる」が15日、公式上映された。エンドロールが流れると、観客から地鳴りのような拍手と歓声が沸き上がった。スタンディングオベーションは10分以上続き、マイクを握った濱口監督は「ここに来られたことをうれしく思っています。素晴らしいキャストと一緒に仕事ができたこと、素晴らしいクルーに支えてもらったことに感謝しています」とコメントした。 3時間16分間の上映には、主演したベルギー出身のビルジニー・エフィラさんと岡本多緒(たお)さんに加え、長塚京三さんと黒崎煌代(こうだい)さんらが参加した。観客からの「ブラボー」の声に手を振って応じたり、抱き合って喜びを分かち合ったりしていた。 「急に具合が悪くなる」はパリが舞台。介護施設の施設長であるマリー=ルー(エフィラ)と、がん闘病中で舞台演出家である日本人の真理(岡本)が偶然出会い、似た名前に導かれ、フランス語と日本語を交えた対話を通して深まっていく交流を描いている。 上映後に出演者らと取材に応じた濱口監督は「ようやく観客に届けられる日が来て、こういう反応になるかというのが一番感じたこと。たくさん笑いが起き、そういう映画なのかと思いました。温かい拍手をいただいて、本当に良かったです」と話した。 上映中は各所で笑い声が上がっており、岡本さんも「気づいたら口角が上がって、すごく温かい気持ちになっていました」。エフィラさんは「作品と観客がどこかでつながっている感覚を体感した」と振り返った。 本作は映画祭で最も注目される作品の一つ。上映会場に濱口組の面々が入場すると、拍手が鳴りやまず、すぐに上映が始められないほどに濱口監督の人気は高い。 海外でも認められている才能について、長塚さんは「底が見えない。完璧すぎる」とたたえた。エフィラさんは「何より仕事熱心で、的確に演出をしてくれる。現場では俳優に限らず、個々を尊重してくれる」と評していた。 映画の原作は、がんに侵された哲学者の故・宮野真生子さんと、医療現場の調査を重ねた人類学者の磯野真穂さんが交わした往復書簡からなる同名の著書。これを大胆に翻案し、劇映画に仕立てた濱口監督は「原作に心震える部分があった。自分が本を読んでいて起きたような状態が映画を見た人にも起きてほしいと思っていた」と語り、世界初上映に手応えを感じているようだった。 この日の上映には原作者のひとりである磯野さんも立ち会った。万雷の拍手のなか、声をあげて涙を流していた磯野さんに濱口監督は感謝の言葉をかけていた。カンヌこぼれ話3作品コンペ入り、過去にも 今年のカンヌ国際映画祭は、日本人監督による3作品が長編コンペティション部門に入ったことで大きな話題となっている。2001年以来25年ぶりのことで、日本映画界にとって喜ばしいニュースだが、カンヌの歴史をひもとくと、3作品コンペ入りは何度か確認できる。 初めて3作品が入ったのは1952年。この年は、カンヌに日本作品が初出品された年としても記憶されている。 作品は吉村公三郎監督「源氏物語」、中村登監督「波」、佐伯清監督「嵐の中の母」。そのうち、「源氏物語」で撮影を担当した杉山公平が撮影賞を獲得した。これもカンヌにおける日本映画の最初の受賞として知られている。 翌53年も新藤兼人監督「原爆の子」など3作品が入った。54年も同様で、衣笠貞之助監督「地獄門」が日本映画として初めて最高賞のグランプリを獲得するに至った。 55年と56年も3作品で、「5年連続の快挙!」と言えそうなものだが、この頃のカンヌの出品国は限られており、複数作品の参加が当たり前。開催国のフランスは当然としても、ハリウッドを擁する米国は4~6作品を出品、イタリアも3~4本を出品していて、日本がとりわけすごいとは言えそうにない。そもそも日本の映画産業は当時、黄金期を迎えており、映画大国でもあったのだ。 ただ、こうした複数作品の参加により、最高賞を得た「地獄門」に限らず、日本映画に光が当たったのは事実。日本映画界指折りの巨匠溝口健二と黒澤明の両監督作品がカンヌでお披露目されたのもこの頃だ。近年、再評価の機運にある田中絹代監督が、「恋文」でコンペに入ったのも54年だったことは特筆したい。 コンペに長編3作品が入ったのは、前世紀では50年代のみ。カンヌ映画祭の部門の拡充と、日本映画産業の退潮が進み、徐々にコンペ入り作品が1作もない年が見られるようになる。14日17:45アニメ映画「我々は宇宙人」、監督週間で上映 独立部門の「監督週間」に参加しているアニメーション映画「我々は宇宙人」が14日、公式上映された。門脇康平監督のほか、声で出演した俳優の坂東龍汰さんと岡山天音(あまね)さんも駆けつけた。 YOASOBIの「優しい彗星(すいせい)」のミュージックビデオを手がけた門脇監督の初長編作品。企画・脚本・監督を担い、構想から5年をかけて制作したという。 舞台は、平成の田舎町。小学3年の内気な翼は、クラスの人気者で底抜けに明るい暁太郎と親友になる。濃密な時間を過ごしていた2人だったが、ある日、暁太郎が学校で浮いた存在となり2人の関係性に変化が起き始める。 すべての絵は監督自身による手描き。青年になった翼を演じた坂東さんは「魂がこもりすぎちゃってるなと思いました。脚本を最初に読んだ時から、『この映画は絶対何かが起きる』という確信が持てました」と語る。監督の演出については、「妥協が一切ない。すごくこだわりを持って演出してくださるなという感じでした」。 青年になった暁太郎を演じた岡山さんは「微細で緻密(ちみつ)な部分にこだわって編まれた作品」と表現した。海外の観客の目に触れることについては、こう期待を寄せた。「日本の片隅で生活している2人の半生を追う作品ですが、個人的なものの蓄積の上で普遍的な核みたいなものが立ち上がってくる。だから国は関係なく反響し合う部分はあると思います」 門脇監督は、作画のために新潟や高知など全国各地でロケハンをし、印象的な景色などをパッチワークして平成の日本を表現した。特定の町にしなかったのは、「自分が住んでいた町のようだ」と観客に没入して見てもらうためだという。 日本的な文化や風景がふんだんに登場する作品ではあるが、翼や暁太郎が子供時代に感じていた繊細で複雑な感情は国を越えて通じるものがあるのでは、と期待する。「心の痛みや喜び、悲しみといった誰もが共有しているものを提示するような作品だと思う」 同作は6月に開かれる仏アヌシー国際アニメーション映画祭の長編コンペティション部門にも出品される。カンヌこぼれ話戦後に第1回開催 最高賞は11本? 「幻の第1回」と世界大戦を経て、正式にカンヌ国際映画祭が開かれたのは7年後の1946年9月だった。この年が真の第1回として映画史に記録されている。 5月に開催されるいまと違って、当初は秋の開催。秋から春に変わるのは、51年からだ。 映画祭の形式も大きく異なっていた。 第1回は約20カ国から長短編100本以上が集まった。現在の長編コンペティション部門では最高賞パルムドールを競うが、そもそも最高賞の呼称は「グランプリ」。そのグランプリも1作品に与えるのではなく、各出品国から一つが選ばれた。その数、11本。今から考えれば大盤振る舞いの映画祭だったと言える。 この11本には、有名な作品の名前を確認できる。ビリー・ワイルダー監督「失われた週末」(米)やデビッド・リーン監督「逢いびき」(英)、ロベルト・ロッセリーニ監督「無防備都市」(伊)がその代表格だ。 ちなみに、47年の第2回は「恋愛・心理」や「社会派」、「ミュージカルコメディー」などのジャンルに分け、各ジャンルごとに最高賞の授与があった。すべての出品作から最優秀作品が選ばれることになったのは49年の第3回(前年は休止)。真の初代最高賞は、キャロル・リード監督の「第三の男」(英)だった。13日17:00「ナギダイアリー」上映に総立ちの拍手 深田晃司監督の「ナギダイアリー」が13日、コンペティション部門に参加する全22作品のトップをきって公式上映された。 深田監督のほか、出演者の松たか子さんや石橋静河(しずか)さんらが立ち会い、上映後には総立ちの観客から大きな拍手が送られた。【動画】深田晃司監督の「ナギダイアリー」が公式上映され、総立ちの観客から大きな拍手が送られた=小峰健二撮影 自然豊かな田舎町「ナギ」で創作に打ち込む彫刻家の寄子(松たか子)のもとを、弟の元妻で建築家の友梨(石橋静河)が休暇で訪れる約10日間を描く。寄子の幼なじみの好浩(松山ケンイチ)や、その息子らとの関係も絡みながら、それぞれが抱える過去や胸の内が次第に明らかになっていく。 上映後に取材に応じた深田監督は「こうして映画が世に放たれたことをとてもうれしく思う」と話した。 2016年に第2コンペの「ある視点」部門で「淵に立つ」が審査員賞を受賞したのを皮切りに、昨年はカンヌプレミア部門で「恋愛裁判」が上映されたが、深田監督にとってカンヌ映画祭のコンペ部門は初。初めてメイン劇場の「グランドシアター・リュミエール」で上映されたことについては、「広く、すごく奥行きがある。それだけの空間で世界初の上映を共有できるのはとてもありがたい」と感慨深げだった。 「ナギダイアリー」は、深田監督が17年から岡山県奈義町に滞在し、住民と交流しながら脚本の執筆や撮影を行った。深田監督は「映画が持っているプリミティブ(原始的)な役割は、世界を知るための窓であるということ。ヨーロッパの大きな映画祭で日本のローカルな景色や人々や生活の様子を見てもらえたのは意義がある」と振り返った。 初めて海外映画祭に参加するという松さんは「映画祭を盛り上げるぞという雰囲気が街全体から伝わってきて、とても華やかなエネルギーを感じています」と話した。上映に立ち会った感想を問われると、「自分が出演したものをお客様と一緒に見るということが基本的にないので、『罰ゲーム』みたいだなと思いました」と笑いを誘った。 石橋さんは、レッドカーペットを歩く前に監督から「カンヌでは観客が途中で席を立つことはよくあるので、傷つかないように」と助言されていたと明かした。「覚悟していましたが、私が見る限りでは、たくさんの方がいなくなるということはなくて、皆さん入り込んで映画を見てくれていてすごくうれしかったです」。映画祭については「憧れていたけど、願ったからといって来られるものでもない。本当に監督に感謝しています」と語った。 「ナギダイアリー」の日本公開は9月25日。新宿ピカデリー、ユーロスペースなど各地で上映される。12日19:00ベルリン映画祭とは対照的な発言 多くの映画祭では、夜の開会式前にコンペティション部門の審査員団による記者会見が開かれる。カンヌ国際映画祭でも同様で、審査員長らが各国の記者の質問に答えていった。 「政治と芸術は切り離すべきものとは考えない」。そう述べたのは今回審査員長を務める韓国の映画監督パク・チャヌクだ。「それらが対立するものと考えるのは奇妙な考え方だ」とも語った背景には、約3カ月前のベルリン国際映画祭の姿勢と、ビム・ベンダース監督の発言があった。 今年2月に開かれたベルリン映画祭は、ガザ侵攻をめぐりパレスチナの人々に連帯を示さなかったために批判を浴びていた。開会前の審査員会見で、こうしたベルリンの姿勢への見解を問われたベンダース審査員長の発言が火に油を注ぐことになった。 ベンダースは「私たちは政治の領域に入ることはできない」「私たちは政治への対抗軸であり、政治とは反対の存在だ」と発言したのだ。さらに、会見の2日後には映画祭ディレクターが「アーティストは政治問題について発言することを期待されるべきではない」とする声明を発表した。期間中、上映された作品群より、映画祭側の姿勢や発言ばかりが話題になってしまった。 こうした経緯があって、映画と政治をめぐる質問を記者らはぶつけたのだった。おそらく質問を想定していただろうパク審査員長は、先述の言葉に続けてこう語った。 「芸術作品に政治的主張があるからといって、それが芸術の敵とみなされるべきではない。同時に、政治的主張がないからといって、その作品を無視すべきでもない」「芸術と政治は相反する概念ではなく、芸術的に表現されている限りにおいて、それぞれに価値があるということだ」 スキャンダラスに報じられたベンダースのときと異なり、パクの発言は現地で好意的に受け止められていた。12日19:00パルムドールなるか 華やかに開幕 映画祭は12日夜(日本時間13日未明)開幕した。 最高賞パルムドールを競うコンペティション部門22作品の中に、是枝裕和監督の「箱の中の羊」、濱口竜介監督の日仏など合作「急に具合が悪くなる」、深田晃司監督の「ナギダイアリー」が選ばれている。 日本人監督による3作品がコンペ入りするのは2001年以来25年ぶり。各賞は23日夜(同24日未明)に発表される。 映画祭のメイン会場付近には、開幕前から映画関係者やテレビクルー、報道記者らが続々と集結。オープニング上映が近づいてくると、華やかに正装した男女が会場に向かって歩いたり、観光のグループ客らがメイン会場のレッドカーペットを背景に写真撮影したり。各所でパーティーの準備が進み、南仏のリゾート地はお祭り気分に包まれていた。 メイン会場に大きく掲げられているのが公式ポスターだ。今年はリドリー・スコット監督の「テルマ&ルイーズ」に出演する2人の女性をモチーフにした。1991年に公開された同作をポスターとして選んだことについて、映画祭はこうコメントしている。 「この2人の忘れがたいファイターは、社会や映画界にはびこってきたいくつかのジェンダーのステレオタイプを打ち砕いた。彼女たちは、絶対的な自由と揺るぎない友情を体現し、解放が不可欠となる時の道筋を示してくれた。このことをいま思い起こすことは、歩んできた道をたたえることであり、先にある道を見失わないことを意味する」 映画はカラー作品だが、白黒のデザイン。「ファイター」のたたずまいもあってか、初夏の日差しのもと力強い印象を受けた。 ポスターは毎年変わっているようで、2024年は黒澤明監督の「八月の狂詩曲」の場面があしらわれた。是枝裕和監督が「万引き家族」でパルムドールを受賞した18年はジャンリュック・ゴダール監督の「気狂いピエロ」にオマージュが捧げられていた。カンヌ映画祭、25年前との類似点 コンペに3作「日本の黄金期」カンヌこぼれ話映画祭幻の「第1回」 今年で79回目を迎えるカンヌ国際映画祭は1946年に始まった。しかし実は、「第1回」が39年に開かれる予定だった。 「カンヌ映画祭の50年」(アスペクト刊、樋口泰人編)によると、カンヌ映画祭の構想が生まれたのは38年9月のこと。最古の映画祭であるベネチア国際映画祭に、国の代表として参加したフランス政府の役人と映画批評家がその帰途、夜行列車で意気投合したことでアイデアが生まれたという。 この年のベネチアは、最高賞にあたる「ムソリーニ杯」を2作品に用意した。一つは、ナチス・ドイツの圧力によって、レニ・リーフェンシュタールによるベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」に与えられ、もう一つは、ムソリーニ自身が監修したイタリアの国策映画「空征(ゆ)かば」に贈られる結果になった。 時のファシスト政権の色に染まった受賞結果に憤りを覚えたフランスの2人は、政治権力から独立した映画祭を作ろうと決意した。フィリップ・エルランジェという名の役人は帰国後、上司の文部芸術大臣、内務大臣らにかけあい、映画祭開催を具体化させていったという。 時期は翌39年9月1日から20日に決定。ベネチア映画祭が閉幕する翌日に開幕日を設定したあたりに、相当なライバル心が垣間見える。場所は景勝地として世界的に有名な南仏のカンヌに決まった。 準備も整い、米国の大スターであるゲイリー・クーパーらも迎えた。しかし、開幕日の1日。ドイツがポーランドに侵攻して世界大戦が始まり、1本を上映しただけで映画祭は中止となってしまった。 反ファシズムをきっかけに華々しく開催する予定だった映画祭の第1回は、皮肉にもファシズムの蛮行によって夢を打ち砕かれ、幻となってしまったのだ。