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張本勲さんのインタビュー連載「人生の贈りもの」について、2013年10月10日夕刊beなどの記事を配信します。肩書や年齢などは当時のままです。張本勲さんが死去 86歳、プロ野球最多の通算3085安打張本勲さん「僕の記録が日本で一番」 飾らぬ言葉で「記憶」を残した元プロ野球選手・張本勲 ――東映フライヤーズに入団しました 高校3年だった1958年11月、東京の駒沢球場であった東映の秋季練習に参加し、打撃コーチの松木謙治郎さんと出会いました。右手が弱いと見抜かれ、左打者は右手がしっかりしていなければと諭されたんです。 ――トスした球をネットに向けて打つ練習は、松木さんが張本さんのために考案した 当時、ああいう練習は誰もしていなかった。毎日400~500本打ちました。腕は上がらず、歯も磨けない。でも、続けると打球が違ってくる。左中間へグーンと伸びる。 ――1年目の開幕戦は6番レフトで先発しました 初打席は三球三振。相手は大投手、米田哲也さんです。三回表の守備でフライをエラーし、交代させられました。その夜は眠れず、バットを振り続けました。翌日は第1打席が右中間を破る二塁打、第2打席は初本塁打でした。 ――どんな練習を シーズン中は1日300本素振りすると決めていました。1本1本を全身全霊で振ると2時間かかる。ライバルはもっと練習していると思うから、シーズンオフは500本、1千本と増えた。手の皮が切れるので包帯を巻く。20~30分して血がにじんでくると、今度は自転車のチューブを手に巻いて振る。1年経つと、手が木のように固くなり、皮が切れなくなる。助けてくれたのは、やはり野球 張本勲さん【アーカイブ】「てんぐ」から我に返ったのは… ――1年目は新人王、2年目は年間打率3割を記録し、3年目に首位打者になりました てんぐになりました。練習に…この記事は有料記事です。残り1632文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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