2026年9月11日 19時01分印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアするこの社説のポイント●プロ野球で唯一、3千本を超える安打を放った張本勲さんが亡くなった●野球には致命的にもみえるケガを克服し手にした栄誉だ●一方で、被爆者や在日外国人など、少数者や弱者の声を体現する存在でもあった

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プロ野球最多の通算3085安打を記録した張本勲さんが亡くなった。国民的スポーツのスターとして傑出した成績を残した一方で、少数者や弱者の声を体現する存在でもあった。広島での被爆体験を基に平和や非核を訴え、在日韓国人2世として育った境遇と思いを語った。その言葉は静かで鋭かった。 東映、巨人、ロッテなどで実働23年間に7度、首位打者に。通算の打率、本塁打、打点も歴代上位に並ぶ。319盗塁と合わせ、総合力は圧倒的だ。両足を幅広に構え、泰然と左右広角に打ち分けるセンスが秀逸で、パ・リーグで互いの最盛期にしのぎを削った野村克也さんが「天才的」と評したのもうなずける。 だが、この華やかな実績は表層にすぎない。4歳の時、たき火へ利き手の右手から落ちて薬指と小指の3分の2を失い、残る3本も内側に曲がった。野球には致命的なけがだ。投げることは左手に代えて克服したが、打撃は、左打者の軸となる右腕だけで素振りを含め1日2千回は振ったという。不可能を可能に変える意志が原動力だった。 引退後、長年出演した日曜朝のテレビ番組では、物議を醸す発言も多かったが、若い選手へ「喝!」と叫ぶ物差しは、自らに向き合い、妥協しないプロ意識だっただろう。少数者の声を届かせるために 別の一面を見せ始めたのも引退後のことだ。 韓国から移住した父は早くに亡くなり、一人で子どもを育てた母は日本語が十分でなかった。在日2世として突きつけられた差別や不条理を、野球とともに乗り越えた。 そうした体験も踏まえ、草創期の韓国球界のアドバイザーを務め、人的交流などの橋渡しも担った。朝鮮半島をめぐって「分断の原因を作った日本には、統一の仲介役になって欲しい」と話した。時には韓国に厳しい発言もした。 出自を隠すことなく語り、振る舞う姿は在日社会にも浅からぬ影響を与えただろう。 被爆体験を話す姿も印象的だった。5歳の時、爆心地から2.5キロの自宅で、母が覆いかぶさってくれて命を拾った。11歳の姉は全身やけどで亡くなった。語り始めたのは還暦を過ぎ、原爆がどこに落とされたのかも知らない若者の声を聞いてからだ。広島を訪れた当時のオバマ米大統領の姿に「謝罪はなかったが、行動は示してくれた」「(核廃絶運動を)もう1歩じゃ足りない。10歩も20歩も進めないといけない」と話した。 障害を乗り越え手にした栄誉におごらず、声なき人たちを代弁し続けた。そのメッセージを改めて受けとめたい。張本勲さんが死去 86歳、プロ野球最多の通算3085安打「社説digital」は、朝日新聞朝刊に掲載する社説をいち早くお届けします。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません