深掘り張本勲さん死去 被爆者として「戦争ダメ」訴えた 数日前話した姉は2026年9月10日 12時10分(2026年9月10日 13時37分更新)有料記事室矢英樹 翁長忠雄印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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プロ野球で強打の外野手として活躍した張本勲さんが、86歳で亡くなった。広島市出身で5歳のときに被爆し、右手の後遺症を抱えながら通算3085安打のプロ野球最多記録を打ち立てた。原爆や平和に関する発言も続け、戦争反対を訴えた。張本勲さん「僕の記録が日本で一番」 飾らぬ言葉で「記憶」を残した助けてくれたのは、やはり野球 張本勲さん【アーカイブ】 10日朝、張本さんの姉、小林愛子さん=兵庫県加古川市=は親族からの連絡で訃報(ふほう)を知った。 「うそでしょ」 言葉を失った。 数日前に張本さんと電話で話したばかりだった。「お姉(ねえ)、100歳まで生きるんやで」と体調を気遣ってくれた。声はいつもどおり、元気いっぱいだったという。 広島市出身の張本さんは1945年8月6日、5歳のときに被爆した。爆心地から2.5キロ。「空いっぱいがピカッと光ってドーンと。地球が割れたと思いました」と2009年に朝日新聞の取材に答えている。 自宅には母と小林さん、張本さんの3人がいた。母が覆いかぶさり守ってくれ、九死に一生を得た。 勤労奉仕に出ていた当時11歳の長姉も被爆し、数日後に息を引き取った。翌日か翌々日に担架で運ばれて戻って来たとき、全身やけどで「熱いよ」「痛いよ」とうめき続けたという。張本さんは、その声が耳に残っていると語っている。 戦後、家族の間で原爆を話題にすることはなかった。母が亡くなる2年前、達成した3千本安打 張本勲さん【アーカイブ】張本勲さん、5歳の被爆体験を語る【アーカイブ】 後年、張本さんは被爆体験を語った。 05年、記者(室矢)は夏の高校野球を前に東京都内の喫茶店で張本さんに対面取材した。当時を思い返し、目に涙がにじんでいたのを覚えている。 被爆体験を公言するようになったのはなぜか。 どこに原爆が落ちたのかも知らない若い世代の声を耳にして、「あんな悲惨なことを二度と起こさないためにも伝えていかねば」と思ったのがきっかけだったという。 姉の小林さんもまた、小学校で体験を話すようになった。すべての国が核兵器禁止条約に参加するよう求める署名活動を始めた。 目標にしたのは、張本さんが打ち立てたプロ野球最多安打記録の「3085」。小林さんは約3年かけ、各地の自治体や事業所に飛び込んでは協力を求め、1人で3501人分の署名を集めた。 張本さんに伝えると、「お姉、あっぱれや」とほめてくれた。 いつも励ましてくれる優しい弟だった。 張本さんは被爆から60年余…この記事は有料記事です。残り614文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません