【動画】熊本地震から1カ月、各地で祈りが捧げられた=日吉健吾、小林一茂撮影

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最大震度7を観測した熊本地震の発生から、28日で1カ月が経った。これまでに判明している死者は38人(28日午前8時現在、災害関連死の可能性がある2人を含む)。復興に向けたあゆみが少しずつ進む中、被災地の各地で、犠牲者を悼む姿がみられた。花を愛した妻、水やりの夕方に揺れが 何げない会話「まさか最後に」 震度7を観測した宇城市では、末松直洋市長と市職員、他自治体からの応援職員ら約260人が地震発生時刻の午後4時27分に犠牲者を悼んで黙禱(もくとう)した。応援職員らとともに追悼 「復興に全力」 市民4人が亡くなったほか、重症1人を含む30人が負傷した。28日未明には全市で断水が解消するなどインフラの復旧が進んでいる一方で、約600人が今も避難所で暮らしている。 市職員の多くも被災。市の被災状況調査に回答した職員392人のうち、自宅以外で生活している職員が今なお14人いるという。 黙禱後、報道陣の取材に応じた末松市長は「被災者に寄り添い、ひとりも取り残すことのない復旧復興に全力で取り組みたい」と語った。「亡くなった人たちの分も生きる」 熊本県八代市鏡町鏡村の旅館前では炊き出しがあり、ボランティアや会場を訪れた人たちが地震発生時刻の午後4時27分に合わせて黙禱(もくとう)した。 炊き出しは、災害時の動物救護活動をしている「JARF(ジャーフ)」の浦川たつのり隊長(50)=長崎市=が実施を呼びかけた。日本防災士会長崎県支部のメンバーらも参加し、うどんやマーボーナス丼、飲み物を提供したほか、ペット用品やタオルも配った。 旅館の周りでは、倒壊家屋が目につく。浦川さんは「炊き出しが地震発生1カ月に重なったのはたまたまだったが、たった数秒でも鎮魂の思いを形にしたかった」と話した。 母親と一緒に訪れていた八代市の小学6年、日高椛恋(かれん)さん(12)は、黙禱の時に手を合わせていた。「亡くなられた方もいるので、その人たちの分も頑張って生きようと思いました」と話した。発生時刻にサイレン 「尊い命奪われた」 震度7を記録した熊本県氷川町では午後4時27分にサイレンが鳴り響き、藤本一臣町長や幹部職員が町役場の正面玄関で黙禱(もくとう)をささげた。藤本町長はその後の記者会見で「尊い町民の命が奪われたというのが一番残念です」と思いを語った。 人口1万人余りの氷川町では、家屋の倒壊などで5人の死者が出た。さらに、車中避難をしていて亡くなった70代の女性も災害関連死の疑いがある。 藤本町長は「現在、避難所は約240人で、ほとんどの方は在宅避難。関連死を防ぐためにはそういった方のサポートを続けないといけない」と話した。 町では、看護師、保健師らでチームを組んで、全世帯をまわって生活状況を確認しているという。日本製紙八代工場でも追悼 煙突の倒壊で9人が亡くなった日本製紙の八代工場(熊本県八代市)。本社広報によると、工場の敷地内に献花台を設け、追悼式典を開いた。社員ら約240人が集まり、地震発生時刻に黙禱(もくとう)したという。 工場は被災した設備や建物の安全対策を進めており、操業再開のめどは立っていないという。宇土市長は初の会見 震度6強の揺れに見舞われた宇土市の光井正吾市長は、震災後初めての会見を開いた。冒頭、「10年前を思い出すような大きな揺れと余震に、市民の皆様は現在も不安な気持ちで生活を送られていると思っています。県内各地で甚大な被害が発生し、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されました皆様に対して心からお見舞いを申し上げます」と述べた。 宇土市内では死者と行方不明者はおらず、10カ所あった避難所は1カ所に集約され、49世帯85人が身を寄せている。 2016年の地震では市庁舎が大きく損壊したが、免震構造で再建し、今回は地震の直後から災害対応に取り組むことができたという。爆発事故の遺族、イオン 熊本地震の発生から1カ月となった28日、爆発が起きて7人が亡くなったイオンモール熊本(熊本県嘉島町)には、犠牲者の遺族らが爆発が起きた時間に合わせて訪れ、花を手向けた。 この日は、家族を亡くした男性2人が献花したあとに取材に応じた。 アパレル店に勤めていた妹を亡くした40代の男性は、この1カ月を振り返り、「(爆発があった)当日、無事を祈った気持ちがずっと続いているような感覚。地震から日常に戻っていく周囲に、うまく入り込めていない」と語った。 爆発の原因調査については、客観的な証拠を積み重ね、真相に迫ってほしいと思っている。「亡くなった人間は、言葉を話せないし、『それは違う』と言えないから」 アパレル店で働いていた妻を失った30代の男性は「この1カ月が驚くように早く過ぎ、悲しむ余裕すらない」と苦しい胸の内を吐露した。 この場所で妻がまだ働いているような気がするといい、花を供えた際に「『ありがとう。早く帰っておいで』と声をかけた」と話した。