「丹波の赤鬼」赤井直正の長男 落城後も毛利氏を頼り生き延びていた2026年8月27日 10時00分青木康行印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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現在の兵庫県丹波市にあった黒井城の主だった荻野(赤井)直正(1529~78)は、織田信長の丹波制圧に抵抗し、明智光秀の軍勢を打ち破ったことから「丹波の赤鬼」と呼ばれた。 直正の長男・悪七郎は、定説とは異なり、毛利氏を頼って生き延び、羽柴(豊臣)秀吉に仕えていたことが赤井家に伝わる古文書で明らかになった。 丹波市教育委員会が1692(元禄5)年に記された「赤井先祖細記」を読み込んで確認した。市教委は「直正の子孫たちの動向が分かる貴重な史料だ」としている。 直正の死後、黒井城は光秀による2度目の丹波攻めで落城した。その後、悪七郎も亡くなったと、旧春日町(現丹波市)の刊行物に記されており、それが定説となっていた。 だが「赤井先祖細記」には、悪七郎は毛利氏を頼って逃げ延び、さらに秀吉に仕えたが、謀反の疑いをかけられて、19歳で切腹させられたと記されていた。 次男の直義の身の振り方もうかがえる。悪七郎の弟という理由で取り調べの対象となったため、金左衛門と名前を変えて、藤堂高虎に仕えた。大坂夏の陣では、徳川方として長宗我部盛親の陣に乗り込み、相応の働きをしたと記されている。 市教委の西岡真理(まこと)学芸員は「『赤井先祖細記』は、前半にある直正の活躍に焦点が当たっていたが、後半部分をしっかり読み込んで、新たな発見につながった」と話している。 「赤井先祖細記」の原本は、10月3日~11月29日に丹波市立春日歴史民俗資料館で開催するミニ企画展「秀吉の時代を生き延びた丹波の赤鬼の子孫たち」で展示する予定。月曜休館(10月12日と11月23日は開館し、翌日休館)。入館料は一般210円。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする