【社説】中国の経済改革という難題 朱鎔基元首相が死去2026年8月21日 19時01分印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアするこの社説のポイント●国有企業改革や世界貿易機関加盟を推進した朱鎔基・中国元首相が死去した●朱氏の諸改革を経て、中国は2000年代に経済成長を遂げた●今の中国は貧富の差の拡大や少子高齢化に直面しているが、改革の動きは鈍い
[PR]
かつて中国に「経済皇帝」と呼ばれる宰相がいた。8月12日に亡くなった朱鎔基元首相である。 計画経済下で停滞した中国を徐々に市場経済化するよう号令したのは鄧小平氏だった。その改革を実際に担った人物が朱氏だ。 1928年に生まれ、新中国の建国初期は若き技術官僚だった。「右派」のレッテルを貼られ、農村に送られるなどの不遇を経験後、80年代に表舞台に立った。 91~98年に副首相、2003年まで首相を務め、税制や金融、国有企業を改革し、世界貿易機関(WTO)加盟などで足跡を残している。 これらが00年代の経済成長につながったが、のちに中国が抱える諸問題の伏線ともなった。例えば不動産だ。都市の住民に割り当てられた住宅を払い下げて私有化したことが、不動産ブームの起点となった。しかし、21年に不動産開発大手が経営危機に陥り、冷え込んだ市場はいまだに回復していない。 これには、朱氏が副首相時に断行した税制改革も関係している。中央財政が安定する一方、地方政府は税収の分配額が激減した。このため地方政府は国有地の使用権を開発業者に売り、財政収入の確保に走った。その結果、不動産市場にメスを入れにくい構造が生まれた。 無論、朱氏ひとりに責を負わせるのは酷だ。中国経済がめまぐるしく変貌(へんぼう)するなかで問題が見つかれば、次の手を打たねばならない。責任を負うべきは対応が不十分だった歴代政権といえる。 改革には痛みがともなう。いずれ国全体に利益をもたらすとしても、一定の集団に不利益を押しつける。朱氏の剛腕ぶりは、つねに反発を招いた。国有企業改革では多くの企業が整理され、失業者を増やした。WTOに加盟した時も、外国との競争にさらされると抵抗する声がかまびすしかった。 それでも朱氏には市民の信頼と支持があった。首相に就任した直後の記者会見で「目の前に地雷原があろうと、私はひたすら前進する」と語った。問題を率直に認めて話す朱氏の姿勢はテレビ中継などで広く知られていた。 今の中国は貧富の差の拡大と少子高齢化に直面し、経済成長が鈍化している。 習近平(シーチンピン)氏は10年以上も最高権力者の座にあり、反腐敗を旗印に党や軍の引き締めを図り、権力を集中させた。だが、経済改革ではみるべき成果を上げていない。 晩年の朱氏の目には、どう映っていただろうか。中国の朱鎔基・元首相が死去 改革路線進めた「剛腕首相」「社説digital」は、朝日新聞朝刊に掲載する社説をいち速くお届けします。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






