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「どこの国籍の人なのか関係なく、ただ助けようとした」。宮崎県日向市沖で、おぼれかけた中学生を助けようと海に飛び込み、命を落としたインドネシア人漁業研修生がいます。今年8月12日で20回忌。事故後、日本とインドネシアで30人以上の関係者を取材し、研修生の「人生」をひもといたドキュメンタリー映画を撮影した監督に話を聞きました。泳ぐのも困難な波の中2007年8月11日夕方。マグロ漁船で働いていた日向市の漁業研修生エンダン・アリピンさん(21)は、休暇中に研修生仲間と伊勢ケ浜海水浴場を訪れていた時、助けを求める声を聞きました。沖に流されていく2人の女子中学生の姿が見えた時、エンダンさんは普段着のまま、ためらうことなく海に飛び込みました。女子中学生2人は助けられましたが、泳ぐのも困難な高い波の中、エンダンさんの姿はやがて見えなくなりました。捜索は翌12日も続きました。研修生仲間を乗せた漁船やヘリなど約200人体制での捜索が続き、午後3時、沖合でエンダンさんが遺体で発見されました。「どんな人生だったのか」「今日の新聞を見て。ぜひあなたの教え子に伝えてほしい」当時、インドネシアのバンドン日本人学校で教員をしていた井上実由紀さんは、友人からそんな連絡を受けました。現地の邦字紙「じゃかるた新聞」の1面に大きく取り上げられていたのは、エンダンさんの記事でした。井上さんは「異国で暮らしている私にも同じことができるのだろうか?」と強い衝撃を受けるとともに、エンダンさんの人生に思いをはせたと言います。研修生というと「日本人のなり手が少ないきつい仕事をやっている」というイメージがありました。一方で、井上さんが接する多くのインドネシア人の若者が、夢を抱いて日本に渡っていました。「エンダンさんにもきっと夢があったんだろう」「教え子だけでいいのだろうか?」映画を撮った経験はありませんでしたが、井上さんはすぐに街の電器屋にビデオカメラを買いに走りました。どんな人生だったのか日本の人に知らせたい、インドネシアの家族にも日本での暮らしぶりを知らせたい……。その一心で、記事を読んで1週間後、井上さんはエンダンさんの実家がある西ジャワ州チルボンのエンデル村を訪ねていました。父の教えを、守ったエンデル村は海に近く、貧しい村でした。事故直後、知らせを受けた両親はショックで気を失ったそうです。家族は井上さんが訪ねた時もまだ深い悲しみの中にいながら、エンダンさんについて話をしてくれました。エンダンさんの夢は海軍学校に入ること。父が「土地を売って入学金を工面しよう」と言ったものの、エンダンさんは「父さん、いいよ。自分で稼いでくる。土地を売ってはいけないよと」譲らなかったそうです。エンダンさんはまだ小学生だった末の弟に学業を修めてほしいと願っていました。父は「息子のためなら喜んで土地も手放したのに……。意志が強い子だった」と語ったといいます。実は、エンダンさんは泳ぐのが得意ではなかったそうです。けれど父はエンダンさんに「どこに行っても、人を助けられる人になりなさい。自分の友にするのと同じように」と言って育ててきたと明かしました。エンダンさんの母校である水産学校では、エンダンさんを「英雄」として3日間、半旗を掲げたそうです。恩師は「国籍に関係なく、人を助けようとした彼を誇りに思っている」と話しました。「国籍関係なく」人を愛し、愛された井上さんは、エンダンさんが中学生を助けようとした宮崎も訪れました。当時、捜索や救助に当たった人たちに話を聞きました。海は荒れており、必死の救出だったそうです。井上さんは映像の中で、「エンダンさんが国籍関係なくおぼれかけた人を助けようとしたように、日本の人たちもエンダンさんを必死で助けようとしていた」ことを伝えました。おぼれかけた人を飛び込んで助けるのは推奨されることではありません。でも救助関係者はエンダンさんの行動を「無謀」とは言わず、「日本人でも人が倒れていても通り過ぎてしまう人もいる。欠けている『人を思いやる気持ち』をエンダンさんは持っていた」と共感する声を寄せました。「命をかけて私たちに教えてくれた」研修指導担当者は、エンダンさんが研修後も夜9時まで勉強していたこと、また通帳のお金には一度も手を付けずに、最低限の生活をして貯金をしていたことを語りました。日々、エンダンさんと3食を共にしていた船主夫妻は「もし自分の子がインドネシアで船に乗っていたら、親は心配でしょう。それはどこの国でも一緒」と、「親代わり」のつもりで、優しく、時に厳しく接してきたと言います。冬になると極寒の中「冷たくて、水が痛い」と言いながらきつい仕事に耐えてきた様子を語り、「2年がんばって、インドネシアに帰国しても何でもできる力は付いていた」と惜しみました。「(エンダンさんが)命をかけて私たちに教えてくれたことは、みんなの心に残ると思う」「どんな人たちか想像できたら」井上さんはエンダンさんを取り巻く30人以上のインタビューをまとめた映像作品「マス・エンダン」を自主制作しました。「マス」はジャワ語で若い男性の敬称です。そして2008年2月、エンダンさんの出身地エンデル村で家族や後輩たちを招き、最初の上映会を開催しました。家族は「アリピンが日本でも、温かく受け入れられていたことに感謝します。いつか日本に行きたい。なぜなら、日本人は優しいから」との言葉を残してくれたそうです。その後も宮崎県日向市を始め、インドネシアと日本各地で上映しました。集まった寄付金で、エンダンさんの故郷の村の小学校に図書館を建設し、本や机などを寄贈したそうです。現在、東京都内の小学校で教員を続けている井上さんは、今も子どもたちにエンダンさんのことを伝えていると言います。「相手のことを想像する気持ちが人を大切にすることにつながる」と話しているそうです。井上さんを映画の自主制作に駆り立てたのはインドネシアに暮らしている時に感じた「他者に対して寄り添う」姿勢だったと振り返ります。日本人学校の近くで小型バスの事故があり運転手が亡くなった時、すぐに近隣の人たちがお金を出し合って遺族に寄付しました。「運転手はきっと収入が少ないから」「残された家族が大変だろうから」と見ず知らずの人のために自然と動くインドネシア人の姿が印象的でした。エンダンさんの死から20回忌という歳月が流れ、日本に働きに来る外国人、生活する隣人はますます増えています。井上さんは「日本に来る人たちがいる中で、どんな思いで働いているのかということや、それぞれにふるさとや家族がいるということが想像できたら、優しくなれたり、近づきやすくなったり、きっとお互いにとって良いことがたくさんあるのだろうなと思います」と話します。現在のエンデル村は20回忌を前に、町田インドネシア友好協会は8月9日、「マス・エンダン」の上映会を開くことにしました。協会の油井理恵子さんは、6月末にエンデル村を訪れました。残念ながら、エンダンさんの父はすでに亡くなっていましたが、エンダンさんが心配していた末の弟は、エンダンさんの「学業を修めてほしい」という遺志を守り、大学まで出て、建築エンジニアとして働きながら、家庭を築いていました。油井さんは「社会に余裕がなくなっている中でも『外国人』『日本人』ではなく、同じ人間として互いに大切にしあう心を、『マス・エンダン』を通して、両国の人に思い出してもらえたらと思います」と話しました。 ◇ ◇「マス・エンダン」上映会日時:2026年8月9日(日)14時上映開始(13時半開場)場所:和光大学ポプリホール鶴川(小田急線鶴川駅徒歩5分)チケット:一般1,000円(学生無料) インターネットで事前購入可能 詳しくはウェブサイトで。https://www.m-shimin-hall.jp/tsurukawa/event/p20260809/ニュースが身近になるメディア「withnews」https://www.asahi.com/withnewsTikTokアカウント:https://www.tiktok.com/@withnewsYouTubeアカウント:https://www.youtube.com/@withnewschannel