被爆時の大やけどで顔や首にケロイドが残り、左耳を失った森下弘さん。記者の質問に、目を閉じて記憶をたどる=2026年6月24日、広島市、林敏行撮影
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「あんた、ケロイドを持って大変だと思う。けれど、誰よりもあなた方こそ、反戦運動を率先してやるべきじゃないか」 森下弘(ひろむ)さん(95)=広島市佐伯区=は、被爆して5年近くたった1950年夏頃、同世代の大学生に言われたことが今も耳にこびりついている。【消えない傷あと:1】傷つくってどういうこと? 元乃木坂46の和田まあやさんと考えた【消えない傷あと:2】脳裏に刻まれた「銀色と赤と黒」 論壇賞受けるまでの学者親子の思い【消えない傷あと:3】「知っていることを話さねば」いつも笑っている父、九死に一生得た夜 アジア・太平洋戦争の終結から5年。朝鮮戦争が始まり、米国に続いてソ連も原爆開発に成功していた。ケロイドとは、原爆の熱線による重いやけどの痕で、被爆者への差別や偏見の原因になった。顔にケロイドが残る森下さんに声をかけたのは、反戦運動に取り組む学生活動家だった。 戦後に書きためた手記をもとに今年編纂(へんさん)された「被爆者 森下弘の証言」(「ヒロシマ通信」研究会編)には、当時の思いをこう記した。森下弘さんがまとめた被爆証言=2026年4月22日、広島市、林敏行撮影 〈自分たちの主張が人に容(い)れられないからといって、どうして私を引き合いに出すのだ。僕は見世物(みせもの)ではない〉 広島県立広島第一中学校(現広島国泰寺高校)3年だった45年8月6日、爆心地から約1・5キロの広島市の鶴見橋のたもとで被爆した。建物疎開作業に動員されていた14歳だった。「巨大な溶鉱炉」 「さあっと、まわりに炎の雨…






