インタビュー聞き手・牧野愛博印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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米海軍歴史遺産司令部は2026年6月、第2次大戦中に当時の日本領だった千島列島・マトゥア島(日本名は松輪島)沖で失われた米潜水艦ヘリングの残骸を確認したと発表しました。同司令部によれば、ヘリングは1942年5月に就役し、大西洋や太平洋戦域で活動しました。44年5月に千島列島沖で哨戒任務に就いたのを最後に行方がわからなくなっていました。防衛研究所の花田智之・国際紛争史研究室長は「松輪島は、日本軍が対ソ戦と対米戦をにらんだ戦略的要衝だった」と語ります。80年前に浮上した「日本の4カ国分割統治計画」 米ソ対立で幻に ――ヘリングについての発表をどう受け止めましたか。 二つの点で興味深く受け止めました。ひとつは太平洋戦争当時の千島列島の防衛という点です。ヘリングが沖合で確認された松輪島は、対ソ戦と対米戦の両方をにらんだ戦略的要衝でした。 もうひとつは、現在の日ロ関係における松輪島を中心とした千島列島の安全保障の意味合いです。安倍晋三政権当時、松輪島を巡って、一部で「日ロ平和条約交渉に何かしらの影響を及ぼすのではないか」という動きが報じられたからです。 ――太平洋戦争当時、千島列島防衛はどうなっていたのですか。 40年12月、対ソ作戦準備として札幌市に北部軍司令部が置かれ、北海道、東北4県(青森、岩手、秋田、山形)、樺太(サハリン)、千島列島の防衛を担当しました。 一方、日米開戦後の42年8月ごろから、米軍が西部アリューシャン列島から反攻作戦に出る見通しが強まり、千島列島の防衛強化も急がれました。松輪島には、歩兵1個大隊などで構成する千島第2守備隊が派遣されました。防衛研修所(現・防衛研究所)戦史室の「戦史叢書」によれば、日本海軍は34年に千島列島の飛行場調査を行い、37年ごろから航空基地の造成を始めました。43年5月のアッツ島玉砕、7月のキスカ島撤退作戦後、米軍が北方から日本に接近する選択肢があったと思います。【連載】読み解く 世界の安保危機 牧野愛博ウクライナにとどまらず、イラン情勢や台湾、北朝鮮、サイバー空間、地球規模の気候変動と世界各地で安全保障が揺れています。現場で何が起き、私たちの生活にどう影響するのか。のべ480人以上の国内外の識者へのインタビューを連載でお届けします。■千島列島のほぼ中間、旧日本…この記事は有料記事です。残り1423文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人牧野愛博専門記者|外交担当専門・関心分野外交、安全保障、朝鮮半島関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする







