コラム・寄稿沖縄の「痛み」を知っていた二人の宰相 摩文仁の丘で亡き人を思う編集委員・松田京平印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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連載コラム「政海コンパス」 編集委員・松田京平このコラムは…日本政治のこれからを展望します。過去に学び、永田町はもちろん地方や海外にも視野を広げ、未来を見据える。先行きが読めない時代に、政治という大海原を見渡すための羅針盤となるようなコラムをめざしています。 岸に寄せる波の音が静かに聞こえる。沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園。慰霊の日を控えた6月22日、式典準備が進んでいた。 敵味方の区別なく戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」。沖縄戦を経験し、建設を進めた故・大田昌秀元知事が大きな問題に直面して思い悩むと、よくこの場所に立ったという。 私はこの日、県の知事公室長や基地対策室長として大田氏を支えた粟国(あぐに)正昭さん(83)に話を聞いた。米軍普天間飛行場の返還が決まった1996年の日米合意から今年で30年。当時の橋本龍太郎首相から大田知事宛てに電話が来た時のことをよく覚えていた。返還合意への喜びと、代替施設の必要性を聞いた落胆が入り交じった感覚だったという。「知事も半分喜んで、半分がっくり。どうしたものか、という感じでしたね」 歴代首相に基地負担の軽減を…この記事は有料記事です。残り1239文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人松田京平編集委員専門・関心分野政党政治、選挙、地方自治関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






