コラム・寄稿文語の多い俳句、口語はどう生かすか かけがえのない「一回性」印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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朝刊歌壇俳壇面で月1回掲載している、俳人・岸本尚毅さんの「俳句時評」。今回は文語と口語についての考察です。俳句時評 岸本尚毅 俳句は文語で詠まれることが多い。たとえば昨年の「俳句甲子園」で優秀賞を得た高校生の作は、最優秀の〈天に地に鶺鴒(せきれい)の尾の触れずあり 本間まどか〉をはじめ、多く文語で書かれている。 いっぽうで口語をどう生かすか。この点も古来、作句のテーマだ。神野紗希(こうのさき)の近刊『俳句は肯定の文学――口語・他者・偶然』(朔(さく)出版)は俳句における口語の可能性を問う。たとえば芭蕉の〈此(この)秋は何で年よる雲に鳥〉は口語を用いている(加藤楸邨(しゅうそん)『芭蕉全句 下』)。老いを実感したのは「毎年来るどの秋でもなく『此秋』」だという句意だが、それが一度しかない「此秋」なのだという思いを表現するうえで「口語的なつぶやき」が効果的だと神野はいう。「永遠性、運命性」を帯び易(やす)い文語に対し、ある瞬間に発した声である口語は「一回性」を得易い。神野のいう「一回性」は一度きりのかけがえのなさを意味する。 神野自身の〈寂しいと言い私…この記事は有料記事です。残り266文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする






