ストーリーPaul Tenorio/The Athletic(ジ・アスレチック) 抄訳=朝日新聞社印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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ボスニア・ヘルツェゴビナ中部ゼニツァのスタジアムで、歓喜が爆発した。 今年3月、サッカー・ワールドカップ(W杯)北中米大会出場をかけた欧州予選プレーオフ決勝。PK戦の末にイタリアを破る決勝PKを決めた夜、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のエスミル・バイラクタレビッチはユニホームを脱いだ。そして、背中に、自分の「ファミリーネーム」が記されたユニホームを地元の観客に向かって掲げた。 それは単なる勝利の喜びではなかった。 米国(アメリカ)生まれの21歳。10代で米プロリーグMLS、ニューイングランド・レボリューションとプロ契約した。当初、背中には、ファーストネームの「エスミル」と入れていた。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表 試合日程と選手情報 背中の名前を変えたのは、父との会話がきっかけだった。バイラクタレビッチは言う。 「僕はプレーするとき、いつも家族を代表している」 両親は、ボスニア東部の町スレブレニツァで起きた集団虐殺(ジェノサイド)の生存者だ。 独立をめぐって国内の民族同士が殺し合った。1995年7月、国連が指定した安全地帯内にもかかわらず、主にムスリム(イスラム教徒)の約8千人が虐殺された。父方の祖父と4人のおじが犠牲となった。 父エルミルさんと母エミナさんは辛くも生き延びた。その後、スイスを経て米ウィスコンシン州に移住。バイラクタレビッチは2024年のインタビューでこう語っている。 「スレブレニツァを忘れることは決してない。それは自分の一部であり、自分そのものだ。血の中に流れている」 両親の母国をW杯へ導いたあの夜、彼が掲げていたのは、家族の記憶であり、姓に刻まれた歴史だった。 元ボスニア・ヘルツェゴビナ…この記事は有料記事です。残り2139文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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