独自に木造仮設を建てた町 「孤独死は出さない」誓いが生んだ広がり坂田達郎印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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仮設住宅は本来、大きな災害では国が費用を出し、都道府県が主体となって整備する。 2011年3月の東日本大震災のとき、その仕組みによらず、自分たちで建てた町がある。 岩手県住田町。県東南部にあり、車で20分ほど走ると宮城県に入る。人口は約4500人。沿岸の陸前高田市と大船渡市に接しており、この2市1町は「気仙地域」と呼ばれている。 町は、火石(ひいし)、本町(もとまち)、中上(なかがみ)の三つの団地に、計93戸の木造の戸建て仮設住宅をつくり、両市の被災者らに無償で貸し出した。少しでも早く、被災者がより良い住環境に移ってほしいという願いから、町は震災があった3月中に建設を始めた。 町の約90%が森林で、製材や集成材の工場が集まる。当時は断熱材や窓の部材などの需要が急増して供給が追いつかず、工務店からの発注では手に入らなかった。そこで、町が資材を直接買い、工務店に渡して工事を続けたという。 4月下旬から順次完成し、5月には入居が始まり、93世帯、約260人が暮らした。 建設費は、音楽家の故・坂本龍一さんが代表を務めていた森林保護団体、一般社団法人モア・トゥリーズなどが寄付を募り、大半を支えた。 「木のぬくもりが感じられる」「隣家の物音が気にならない」と、入居者からは歓迎する声があった。内陸で生まれた支え合いと交流 仮設住宅には、基本となる考え方がある。阪神・淡路大震災では郊外に大規模な仮設住宅が建てられ、高齢者が孤立して孤独死が相次いだ。その反省から、その後の災害では見守り態勢を整え、住民が集まる場を設けるようになり、地域のつながりを保つため、被災地の近くに建てることも基本とされてきた。 住田町は被災した沿岸から離れた内陸にあり、必ずしも基本通りの条件ではなかった。それでも、社会福祉協議会や公民館などが見守り態勢をつくり、支え合いが生まれていった。 町内で最も多い63戸の仮設住宅があった中上団地は、もともと小学校の校庭だった。運動会が開かれるなど、地域の人たちにとって大切な場所だった。校舎が集会所として再利用され、被災者とボランティアらの交流の場になった。 自治会ができ、地域の行事「夕涼み会」に入居者も参加。ベンチづくりや草取りを通じて、ボランティアや地域の人たちが支援にかかわった。 三つの団地には、全国から延べ1700人以上のボランティアが支援に入った。被災者、受け入れる住民、ボランティアの三者が接点を持ち、支援の幅が広がった。地域にとって大切な場所だったからこそ、そうした関係が生まれた。 その中には、町の外から支援に入り、やがて町に住むようになった人たちもいた。 「絶対に孤独死を出すわけに…この記事は有料記事です。残り2169文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人坂田達郎盛岡総局専門・関心分野地域の産業・文化、防災関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする






