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「シントンくんにお弁当を持っていくようになったのは、高校2年のときの席替えがきっかけでした」 東京都内の小学校で図画工作を教えている「とも子」さん(61)は、そう振り返る。 通っていた高校には、タイからの国費留学生が各学年に5人ずついた。 そのうちの1人であるシントンくんと席が隣同士になり、あることに気づいた。 クラスメートがお弁当を持ってくるなかで、彼は毎日のようにパンを食べていたのだ。 特に、購買部で売っていた「焼きそばパン」をよく食べていた記憶がある。 ある日、彼が「いいな、お弁当……」とつぶやいたのが聞こえた。 自分に向けて言ったのかはわからないが、「確かに毎日焼きそばパンだと飽きてしまうわね」と思った。 その言葉を聞いて以降、何となく隣でお弁当を食べにくくなり、母にそのことを伝えると、こんな提案をされた。 「高校生が親元から離れて、外国でひとり暮らしなんて大変ね。お弁当を一つ作るのも二つ作るのも大して変わらないから、持っていってあげたら」 さっそく次の日、母はお弁当を二つ作ってくれた。 色違いの包みの中身は、同じサイズで、同じ中身のお弁当箱。 もともと大きめのお弁当箱を使っていたので、男子高校生にも十分な量だった。 登校して「はい、これ」と一つを渡すと、シントンくんは「ありがとう」と受け取った。 その日から卒業までの約1年間、母はお弁当を毎回二つ作ってくれた。 とも子さんは「自分でお弁当を作ったことは一度もなく、ただ運んだだけでした」と振り返る。お弁当以外の思い出は 「タイのお料理って辛いイメージだけれど、うちの薄味のお弁当で、大丈夫なのかしら?」 母は時折、そんなことを心配していた。 確かに、煮物やサケの塩焼き、卵焼き、ホウレン草のおひたしといった「ザ・日本のお弁当」だ。 とも子さんにとっては好きで慣れた味だが、見た目は地味だし、揚げ物やハンバーグ、ウィンナーなども入っていなかった。 でも、毎日お弁当箱がきれいに空になって返ってきたので、母には「大丈夫みたいよ」と伝えていた。 シントンくんとは2年間同じクラスだったが、部活も別々だったし、仲良しグループにいたわけでもない。 次の席替えで隣でなくなってからは話す機会も減った。 お弁当以外の思い出といえば、文化祭のクラス劇「銀河鉄道の夜」のことくらい。 日本語ペラペラのシントンくんが、片言の日本語を話す外国人役だったのが印象に残っている。 高校卒業後、とも子さんとシントンくんは、それぞれ違う大学に進学した。学校にかかってきた電話 それから30年近くが経った2011年の夏。 とも子さんが勤務していた千代田区の小学校に、1本の電話がかかってきた。 職員室にいたので受話器を取…