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冨田ゆきのさん(22)は、川崎市立橘高校の定時制に通う2年生だ。 この高校に通うのは2回目で、中学卒業後に入学したが、3年生のときに中退。 21歳で再入学し、もう一度1年生から学び直している。 最初に入学したとき、橘高校の定時制を選んだ理由は「家から近かったから」。 中学時代、いじめを受けて登校できなかった経験から、高校に興味がなかった。 それでも、親や中学の担任から「高校には行った方がいいよ」と言われ、仕方なく選んだ。 だが、事前の学校説明会へ行ってみると、印象が変わった。 スポーツ大会に文化祭、ボウリング大会、アイススケート教室など、イベントが盛りだくさんだという。 「すごく楽しそう。いい学生生活が送れそうな気がする」 いざ、入ってみると「超楽しかった」。 特に印象に残っているのが、1年秋の文化祭で焼き鳥店を出店したこと。 おそろいの法被のデザインを考え、看板を作り、屋台のテントを張り、焼き鳥を焼く。 すべての作業が楽しかった。コロナ禍で一変 だが、2年生になったころ、新型コロナウイルスの流行で生活が一変する。 休校で通えなくなったこと以上に、未知のウイルスに対する強い警戒感を持っていた。 感染しても救急車は来ないし、病院も満床。後遺症や命の危険もあるという。 怖くて家から出られなくなり、学校にほとんど行かなかった。 そんな中で、担任教師だった松原謙二さん(58)が毎週金曜日に、自宅ポストにプリントや提出物を届けてくれた。 あえて呼び鈴は鳴らさず、ポスティングだけして帰っていく。 そしてほぼ毎回、手紙が添えられていた。 「自分なりに工夫して学習してほしいと思います」 「何か困ったことがあれば、いつでも相談に乗ります」 手紙を読むのが楽しみで、金曜日が待ち遠しくなった。 なんとか3年生に進級できたものの、学校に行けないままでは卒業が難しい。 将来への不安だけが募り、どうしていいかわからないまま、17歳で退学を決めた。 担任を外れていた松原先生には相談せず、あいさつもしなかった。 3年生の担任に退学届を提出し、学校を去った。先生からの年賀状 そこから約2年間、引きこもり生活が始まる。 「何をしていたのか、記憶もないくらいの黒歴史です」 19歳になって、初めてのアルバイトに挑戦。 最初の仕事が、イベント会場でのチラシ配りや、列の誘導だった。 ラーメン店で最後に具材を乗せて提供したり、カラオケ店の受付をしたり。 いくつも仕事を経験したが、どれもしんどかった。 「どの仕事も楽しくない。大人の世界って厳しいな」 そんなことを思っている間に、同級生たちは大学生になったり、社会人になったり。 「私、何やってるんだろう」と思いながら、家の片付けをしていたときのことだ。 退学してからも毎年届いていた、松原先生からの年賀状を見つけた。 そこには、こんな言葉が書か…