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サッカーのワールドカップ(W杯)北中米大会は、まもなく日本が初戦を迎える。世界を見渡すと、かつて、代表チームは同じ国や地域に生まれ育った者たちの団結の象徴だったが、グローバル化と移民増加の余波で、ピッチ上の国境は、あいまいになりつつある。日本代表にもまた、さまざまな国にルーツを持つ選手がチームの屋台骨を支えてきた歴史がある。(文中敬称略)ブラジル出身選手が支えた歴史 日本代表はブラジル出身の選手が来日し、日本国籍を取得してチームを支えた時代があった。 先駆者は1967年に来日した日系2世のネルソン吉村(吉村大志郎)。その後、ラモス瑠偉は93年、米国W杯アジア地区最終予選で惜しくも敗れた主力だった。いわゆる「ドーハの悲劇」だ。 日本が悲願のW杯初出場をかなえた98年フランス大会では、呂比須ワグナーが予選からチームに貢献し、本大会では日本のW杯初ゴールに絡んだ。2002年日韓W杯、06年ドイツW杯には三都主アレサンドロが出場した。10年南アフリカW杯では、田中マルクス闘莉王がDFの柱としてベスト16入りに貢献した。 長年、日本サッカーを強化の最前線で見守ってきた田嶋幸三・日本サッカー協会名誉会長は「ラモス、闘莉王をはじめ、誰もが日本を愛する気持ちから国籍を変えて、チームを引っ張ってくれた」と振り返る。 近年は国際結婚をした両親の元、日本で育った選手が台頭してきた。日本にルーツ「誇りと責任」 今年の北中米W杯で日本の躍進に欠かせないのが、ゴールキーパーの鈴木彩艶(ざいおん)だ。ガーナをルーツとする父と日本生まれの母の間に生まれ、サッカーどころのさいたま市浦和区で育った。Jリーグ浦和のジュニアの選抜試験に合格し、小学5年から入団。浦和のトップチーム、ベルギーを経て、今はパルマ(イタリア)で活躍する。 日本サッカー協会は5月11日、世界各地で日本にルーツを持つ選手を発掘するプロジェクトを活発化させると発表した。8月には米カリフォルニア州で、本人、もしくは両親のいずれかが日本国籍を持つ15~16歳の選手を対象に4日間の合宿を開く。 発表イベントで日本協会会長の宮本恒靖は「我々はドイツのデュッセルドルフに拠点を持ち、そこからの情報網でアプローチをしてきた。今後も続け、日本代表のために戦ってくれる選手を発掘したいし、こうしたキャンプを欧州でも実施したい」。 一緒にイベントに登壇した元日本代表のストライカー、中山雅史は「海外に居住していても、そこの国の代表になりたいと思うよりも、俺のルーツが日本にあるという誇りと責任、憧れをもってめざす選手の方が飛躍していくと思う。そのためにも、まず日本代表が強くなり、世界に自分たちの戦いを知らしめなければいけない」と訴えた。FIFAの代表資格と変更のルール 原則、選手本人か実の父か母、もしくは祖父か祖母がその国・地域の領土で生まれる必要がある。 血縁がない場合で、例えば18歳以降に移住した場合、その国・地域に5年以上継続して居住している場合は認められることがある。代表チームを変更したい場合、かつては一度でも公式戦に出れば、変更は不可だったが、21年以降、緩和された。「21歳未満で公式戦3試合以内」などの条件を満たせば、一度だけ変更が可能となった。他競技の代表チームの資格は ラグビーW杯は国籍ではなく、所属協会を重んじる。その国のパスポートを保持していなくても、「両親、または祖父母の1人がその国・地域で生まれた」「その国・地域の協会・団体に5年以上継続して登録している」などの条件を満たせば、出場できる。日本代表でW杯4大会に出たリーチマイケルは、15歳のときに留学生として来日した。 野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)も「両親のどちらかがその国・地域で生まれた」などの条件で出場できる。2023年大会で日本が優勝したときに一員だった外野手、ラーズ・ヌートバーは母が日本国籍を持っていた。 バスケットボールの場合、16歳の誕生日を過ぎてからその国の国籍を取得した選手の出場は、1人に限っている。日本男子が24年パリ五輪の切符をつかんだ23年W杯では、米国出身でその年の2月に日本国籍を取得したジョシュ・ホーキンソンが大活躍した。