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京都大学のトップが6年ぶりに交代する。次期総長は「国際卓越研究大学」の認定を目指す大学改革のかじ取りを担うなど、今後の教育研究に大きな影響力を持つ。一方で、教職員による投票結果が最終決定に反映されるのかが見えにくく、総長選考過程の不透明さを懸念する声も根強い。国内屈指の研究大学のトップ選びの行方が注目される。ノーベル賞受賞者の名前は… 総長選考は、9月末に任期満了を迎える湊長博総長の後任を選ぶ。総長選は教授らの直接投票で決める仕組みではなく、最終決定権は、財界人や有識者、所属長ら学内外の委員で構成される「総長選考・監察会議」(議長=平野俊夫・元大阪大学総長)が握る。 選考手続きは4月に公示され、まずは学内の教育研究評議会が予備投票を実施した。教職員らの有権者が、理事や教授の中から投票。この結果をもとに上位15人程度が総長選考会議に推薦され、選考会議が学外から推薦した候補も含めて6人に絞り込んだ。 第一次候補者6人は研究科長経験者や理事で、人文系の研究者や女性、有力視されたノーベル賞受賞者は含まれていない。 選考会議が6人の面接を行い、学内の意向調査(投票)が15日に実施される。意向調査は、講師以上の教員と課長補佐相当以上の職員らが投票する。投票結果も踏まえ、選考会議が2次選考を行い、決選投票(再意向調査)の必要性を判断した上で、面接を行い「総合的に判断」して、16日にも次期総長を決定する。京大から始まった「総長選挙」 戦後の国立大学では、教職員による選挙で総長や学長を選ぶのが一般的だった。京大は1919年、日本で初めてこの仕組みを導入し、教職員の投票による「総長選挙」が伝統とされてきた。しかし、2004年の国立大法人化で、学長選考・監察会議が選ぶ仕組みに移行。文部科学省も、学内投票はあくまで「参考」とするよう求めている。 こうした選考の仕組みをめぐっては、他大学でも批判が起きた。東大では20年、教員の投票も含んだ一次選考でトップだった候補が、最終選考から外される不透明なプロセスが問題視され、検証を行う第三者委員会が立ち上がった。千葉大でも24年、教職員の投票の学内意向聴取で2位だった候補者が学長になった。 京大でも、かつては意向調査で過半数を得る候補がいない場合、決選投票(再意向調査)を行う仕組みだった。14年の総長選では決選投票が実施され、湊氏を制して山極寿一氏が過半数を得て、総長に選ばれた。しかし、20年の選考では過半数の得票者がいなかったにもかかわらず、決選投票は行われず、最多得票の湊氏が選ばれた。前年の規定改定で決選投票の条項が削除された。 今回の選考でも、過半数を獲得した候補がいない場合に決選投票が行われるのか、得票1位の候補が最終的に選ばれるのかも注目されている。ある教員は「意向調査や決選投票で過半数の支持を得られない人に、総長としてのリーダーシップが発揮できるのか」と疑問を呈する。「卓越大」の行方は 今回、大学改革の方向性も重要な争点となる。京大は、文部科学省の「国際卓越研究大学」の認定をめざし、学部・学科を再編するデパートメント制の導入を検討している。卓越大に認定されれば、政府が出資する10兆円規模の大学ファンドの運用益をもとに、1校あたり年に数百億円が支援される。しかし、組織や働き方に大きな影響を与える改革だけに、学内でも賛否が分かれている。選考会議は1月、大学のHPに「望まれる総長像」について「国際卓越大の強化計画の達成に尽力し、大学運営の大胆な変革を実現する強い意志と実行力を有していること」などを挙げた。 京大職員組合も5月、選考会議に対し、透明性の高い手続きを求める要請書を提出した。過半数の支持者がいない場合は決選投票の実施などを求めている。 京大は選考会議の詳細な過程や候補者名を公表していない。取材に対し「現在選考中につき、お答えできません」としている。総長・学長選考の背景には一般社団法人「科学・政策と社会研究室」の榎木英介代表 ここ数十年、各大学で教員による意向調査が反映されず、トップダウンや出来レースの学長選びが起きてきた。国立大学が民主的組織ではなく、国の意向を反映させる機関のようになりつつある。政府や産業界の意向に過剰に気をつかうことは、大学の自治や自律性を弱める結果につながるのではないか。大学の価値観の大きな転換点になっている。 選考過程の透明性に疑義が生じると、大学の構成員の不満が出てくるだけではない。京大の今回の選考も予備投票で1位だったノーベル化学賞を受賞した理事が一次候補の6人に残らず、その選考理由も公開されていない。国立大学は国の財政に支えられる公的機関であると同時に、地域に根ざし「学問の自由」が保障されているはずだ。その大学のトップが民主的に決められていないということは、大学が社会から遠い存在となり、人々の支持を失っていく可能性がある。 一次候補者6人に、女性がおらず、理系が中心なのも京大の執行部の偏りが表れているようにみえる。「脱・京都大学」とは 京大はかつて、自由さや国からの一定の独立性で知られ、それが独創的な研究やノーベル賞の土壌になってきた。ただ、この10年ほどタテカン(立て看板)規制や吉田寮の明け渡し請求など管理強化が続いてきた。今回の総長選考の集権化は、その仕上げに当たるとみえる。 学内でも賛否の割れる国際卓越大を前提に、選考会議が「望まれる総長像」に打ち出したことは、卓越大推進に前向きな人しか残りにくく、慎重・反対の立場の教職員の投票の行き場もない。極めて非民主的で結論ありきの感が否めない。 確かに大学の予算が削られ自由な研究が難しい時代だ。だが、卓越大として国から潤沢に資金を得る代わりに、すでに細ってきた自由やゆとりを完全に手放し、国の一機関になってしまうのか。京大が築いてきたある種の反権力の文化は大きく後退している。京大が今後も人を引きつけ、自由な研究からノーベル賞を生み続けられるのか。今回の総長選考は、長く進んできた「脱・京都大学」を決定づけかねない、大きな分岐点だ。






