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「将棋に1ミリも興味ないんですよ」。そう笑いながら、MC・神田大介記者はある同僚の記事を絶賛します。「それなのに読んじゃう」と。朝日新聞ポッドキャスト「ニュースチャット 1on1」に登場した北野新太編集委員は、「社内で一番記事がうまい」と神田記者が評する書き手です。読売新聞系列の報知新聞でスポーツ、事件、政治、芸能と渡り歩き、2022年に朝日新聞へ移籍。将棋の「桂馬」のルールすら間違えたまま担当記者になったという北野記者が、15年以上にわたる将棋取材の原点と哲学を語りました。その「問い方」には、私たちの日常にも通じるヒントがありそうです。※本記事は、ポッドキャスト音源を生成AIで文字起こしし、音声チームと出演者が確認・校正したうえで公開しています。中学2年生の衝撃が、すべての始まりだった新聞記者になるきっかけは、意外なほど遠いところにあったそうです。中学2年のとき、ノンフィクション作家・沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』を読んで「これは俺がやりたいことだ」と確信した、と北野記者は振り返ります。バスケットボールに明け暮れる少年時代を過ごす中でも、挫折したプロボクサーと名トレーナーの最後の挑戦を生々しい感情の揺らぎとともに記録したこの作品への憧れは、消えなかったといいます。大学3年生のとき、好きだった雑誌「SWITCH」のアルバイトに応募し、採用されます。初出勤の日、編集長に「誰が好きなの」と聞かれ、「沢木耕太郎さんです」と答えると、「じゃあ沢木さんへのお使いは全部君が行ったらいいよ」と言われたそうです。「ジョン・レノンに憧れてビートルズを聴いていた少年が、ジョン・レノンに会うようなもの」と北野記者は笑います。人生はアルバイトに応募するくらいの一歩で変わりうるのだ、と実感した原体験だったとのことです。その後、沢木さんから「君は新聞記者に向いていると思うよ」と言われ、報知新聞に入社。22歳でのスタートでした。「お前が聞いた言葉を、全ての新聞に載せろ」報知新聞での最大の修業の場は、読売巨人軍の番記者時代だったといいます。7人態勢の担当記者のなかで、北野記者は野手担当。書く記事は、一つの「抜かれ」(他社に先を越されること)も許されず、「100勝0敗」が当たり前の世界だったそうです。転機は、神宮球場でのある夜のこと。阿部慎之助選手の囲み取材で、真横につけなかったことをキャップに叱られます。「俺たちの仕事はすべて全社を代表してやるもんだ。お前が聞いた阿部の談話を全ての新聞に載せる、これが俺たちの仕事だ」この言葉が、「自分で問い、自分の言葉で記事を構築する」という姿勢の原点になったと話します。4打数0安打の4番打者に何を聞くか。その打席の一球一球を分析し、「この記者はこう見たんだ」と思ってもらえる問いを投げられるか。それを徹底的に鍛えられた時期だったそうです。「15分待ち」が信じられない人の時間感覚将棋取材で積み重なるエピソードのなかでも、藤井聡太さんの素顔が垣間見える場面は印象的です。新幹線で名古屋駅に着く直前、周囲の乗客が荷物を降ろし始めるなか、藤井さんはホームに滑り込むギリギリまで車窓を眺め、ぴたりのタイミングで荷物を手にしたそうです。東京駅でタクシーの待ち時間が15分と伝えたところ、「15分はちょっと……」という表情で、雨のなか流しのタクシーを拾いに歩き始めたとのこと。「僕たちが体感する15分より、藤井聡太さんが体感する15分は長い。将棋の持ち時間がなくなった後の1分将棋で、59秒以内に最善手を見つけられる人の時間感覚は、普通とは違うんです」藤井聡太の2分と15分 雨の日もタクシーは待たないこの何げない出来事を記事にできるのは、移動中も打ち上げ後もできるだけ同じ空間を共有し、素の表情や本音を引き出すチャンスを極限まで広げているからこそです。巧みな質問ではなく、ただそこにいることで生まれるものがある。巨人番時代にたたき込まれた「選手の真横につけ」という教えが、形を変えて生きていました。「盤上の物語は不変である」を引き出した一問2020年、藤井さんが17歳で初タイトルを獲得した夜。コロナ禍で取材時間は極限まで制限され、「各社1問」という条件が課されたそうです。北野記者は2週間かけて、その「1問」を考え抜いたといいます。「AIが席巻し始めた時代に、人間が将棋を指す意味をどう考えるか」。その問いに、藤井さんは最初ふわりとした答えを返しました。もう一歩踏み込んで「人間として聞かせてください」と重ねたところ、返ってきた言葉がこれでした。「今の時代においても将棋界の盤上の物語は不変のもの。その価値を自分自身も伝えられたらと思います」この言葉は一面記事に組み込まれ、将棋史に残る発言として記録されています。神田記者は「歴史上の名言には、必ず誰かの問いがあったはず。その問いを投げる側になれるかどうか」と語ります。AI時代の藤井聡太新名人 記者への告白「棋士の価値を信じる」「新聞記者」を脱ぐことで見えたもの北野記者が近年大きく変えたのは、記事における「自分」の出し方です。新聞報道では長らく「記者の主観を排し、客観的に書く」ことが鉄則とされてきました。しかし北野記者は、藤井さんについての記事で「私はこう問いかけた」「私の胸に今も残る」と書き始めたそうです。「5W1Hで始まる客観的な原稿を、もう誰も読んでくれないんですよ。数字でわかります。新聞記者が新聞記者であることを脱がないと、未来はないという局面まで来ているのかなと思います」比喩の使用も「解禁」したといいます。ある棋士の昇級を書いた記事では「美しい夏の清流に身を任せるような勝局」と表現しました。報道文体の常識からすれば逸脱かもしれません。けれど、その場で感じた空気をもっとも正確に伝える言葉がそれだった、と話します。朝日新聞に移ってからは、書き方について「こういうのは朝日新聞的ではない」と言われたことがほぼないそうです。「こんなに自由でいいのか」と驚いたという言葉には、長年の型と格闘してきた記者の実感がにじんでいました。質問することの、小さな勇気記者会見で場違いに思える質問を投げること。わずかな情報を頼りに片っ端から取材をすること。打ち上げが終わった棋士に「あと5分だけ」と頼むこと。北野記者の取材は、そうした小さな勇気の積み重ねで成り立っているようです。直木賞を受賞した西加奈子さんの記者会見では、他社の記者たちが文学的な質問を重ねるなか、最後の1問で「プロレスから創作に得たものはありますか」と聞いたそうです。会場からは笑い声が漏れました。しかし西さんは「よく聞いてくださいました」と応じ、10分にわたって作家としての信条を語ったといいます。笑われても、自分が考えた問いで勝負する。その姿勢は、2004年のアテネ五輪でレスリング・吉田沙保里さんの「6回告白した男の子」を探し当てた夜にも、2019年に木村一基九段がタイトルを獲得し、家族への思いを問うて21秒の沈黙と涙を引き出した夜にも、一貫していました。木村一基の百折と不撓「夜10時からの殴り合い」涙の戴冠から6年私たちの仕事や暮らしのなかにも、「こんなこと聞いていいのかな」とためらう場面はあるかもしれません。けれど、その問いをのみ込まずに投げてみたとき、相手の表情が変わる瞬間がある。北野記者の話は、そんなことを思い出させてくれます。記事のなかでは整理された言葉も、元の対話では、笑いや脱線を挟みながら少しずつ形になっていきます。2002年のサッカー・ワールドカップで優勝したブラジル代表の祝勝会に突撃した夜から、深夜の対局室で原稿と格闘する現在まで、エピソードは途切れることなくあふれ出していました。その間合いも含めて受け取ると、「問う」という行為がもう少し身近に聞こえてくるかもしれません。番組紹介「ニュースチャット1on1」は、朝日新聞の記者たちが気になるテーマをじっくり語り合うポッドキャストシリーズです。今回は、神田大介記者が北野新太記者をゲストに迎え、取材の裏側や記者としての原体験を掘り下げていきます。脱線しながらも核心に近づいていく会話で、普段は記事の裏に隠れている取材者の素顔や思考の癖が自然とにじみ出てきます。ニュースを「読む」入り口としても、「作る側の現場」を知る場としても楽しめます。【全話無料!】 「ニュースチャット」の配信一覧はこちら番組を振り返って(北野・神田より)(北野)神田さんの名調子に導…






