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ホンダのF1開発拠点のトップだった浅木泰昭は、はらわたが煮えくりかえっていた。 「薄々わかっているとは思うが、F1から撤退する」 テレビ会議で本社の幹部からそう告げられた。2020年9月下旬のことである。 その10日後、当時社長だった八郷隆弘は、F1からの撤退を正式に表明した。 新型コロナウイルスの感染が広がり、経済は停滞。世の中は脱炭素化にかじを切り、ホンダももれなく、変化を迫られていた。 「50年の脱炭素という新たな挑戦にリソースを傾ける。再参戦は考えていない」 八郷は当時、記者会見で復帰の可能性を否定した。連載「ホンダF1復帰の真意」(全3回) 6日に開幕する26年シーズンからホンダがF1に戻ってきます。自動車業界が「大変革期」に直面する中、なぜF1に復帰したのでしょうか。その真意を探ります。「走る実験室」軽自動車開発にも貢献 バイクメーカーだったホンダがF1に初挑戦したのは1964年。以来、F1は、ホンダの技術と技術者を鍛える「走る実験室」だった。 「F1で世界一を目指している人間が量産車をつくるからホンダだ」。81年にホンダに入社した浅木は、そんな自負を持っていた。 若手のころ、ルールが厳しいF1のエンジン開発に取り組んだ。その経験が、大きさや排気量などの制約が多い軽自動車の開発に生きた。浅木が世に送り出した「N―BOX」は、11年連続で最も売れた軽自動車に育った。 そんな浅木が低迷するホンダのF1の立て直しを託されたのは、60歳を目前にした2017年だった。 F1の現場を離れて既に30年以上が経っていた。それでも「ホンダの未来に何かを残せるのではないか」。「お前たちはどうする?」 そんな浅木の決意から3年。苦心していた最中の撤退表明だった。 浅木は部下たちの今後が気がかりだった。上司としての責任を感じていた。 撤退表明から数日後。浅木は部下たちを集めて、言った。 「お前たちはどうする?」 浅木は、部下たちがF1のパートナー企業であるレッドブルで働けるよう、打診することも考えていた。 だが、部下たちは異口同音だった。 「ホンダでF1がやりたいです」復帰めざして打った布石 上司として、後輩たちのため…









