インタビュー五木寛之さんが語った「生きる罪悪感」 多死時代の「理想の死」とは聞き手・真鍋弘樹印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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日本は多死時代を迎えている。団塊の世代が80代に迫り、年間死亡者数はすでに160万人を超えた。戦後80年が過ぎ、日本人の死生観はどう変わってきたのだろう。私たちは誰でも、とらえどころのない死というものと一人で向き合うしかない。93歳になった作家の五木寛之さんに、考えるヒントを聞いた。戦後日本に三つの段階があった「死生観」 ――日本人の死生観は、どう変わってきたと思いますか。 「僕の生きてきた昭和から現在まで、人の死というものに対する感覚には、三つの段階があったと思います。第1は戦争中から敗戦までです。僕は中学1年生のときに朝鮮半島の平壌で敗戦を迎えましたが、中学生ですら死というものを真剣に感じる時期でした。『咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ 国のため』という『同期の桜』の歌詞に象徴されるように、国民全体が国のための死を実感していた。僕も当時は、特攻隊に志願するかどうか、選抜されて敵の航空母艦の甲板に突っ込めるだろうか、と毎晩うなされるように考えていました」 「それが戦後はがらっと変わり、国のためという言葉が意味をなさなくなる。何をやっても生き延びるんだという時代を経て、高度成長を過ぎ、1990年代ごろに再び、日本人が死に向かい合う時代があったと考えています」 ――90年代には阪神大震災や地下鉄サリン事件など死を考えざるを得ない出来事も起きました。そして現在は、団塊の世代が高齢化し、多死社会とも形容される時代になっています。 「10年ほど前から3度目の死のブームというか、死の意味を問うことに心が向いた時代になってきたように思います。高齢者たちの生きる目的というか、自分はなんで生きているのだろうという無意識のエネルギーがせり上がっているような感じがしている。生きる価値と死の意味というのは一対ですが、そんななかで我々は死に直面しているような気がするんです」「死ぬっていうことも大変なんだ」 ――月刊誌の文芸春秋で、「うらやましい死に方」という特集をし、ほぼ10年に1回のペースで投稿を募っていますね。 「ええ、身近な人の死の実例…この記事は有料記事です。残り3157文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人真鍋弘樹オピニオン編集部|フォーラム編集長専門・関心分野人口減少と移民、民主主義、メディア、沖縄関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする