深掘り「こんなに私のために」草間彌生さんが決別した故郷で最後に流した涙塩原賢印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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長野県松本市出身の世界的前衛芸術家、草間彌生さんが97歳で亡くなった。草間作品409点を所蔵し常設展示を行っている松本市美術館の学芸員、渋田見彰さん(49)は「2カ月ほど前にお会いした際はお元気だっただけに、突然の知らせで残念だ」と話す。 近況を知っておきたいという理由で、6月下旬に、草間さんの制作の合間をぬって都内で会ったという。死の2カ月前、描きかけのキャンバス並ぶ部屋 草間さんは、1973年にニューヨークから帰国し、心身の不調で77年から、都内の入院先の病室を生活の拠点とし、近くのアトリエを制作の場としてきた。 およそ4カ月ぶりとなる訪問も、都内の病室だった。「おそらくさっきまで描いていたんだろうな」と思わせるキャンバスがいくつも立てかけてあり、「生気にあふれた様子で、まだまだこれからたくさん描かれるんだろうなと思った」。 渋田見さんと草間さんの初顔合わせは、市美術館が開館した2002年。常設展の準備で東京のアトリエを訪ねた。アトリエに入るなり、立ち上がって迎え入れてくれ、「怖い方かなと思っていたが、優しい方だなって、印象が変わった」。お茶を振る舞ってもらい、現在、制作している作品の話を熱心にしてくれたことが印象に残っているという。 その後も頻繁に交流を重ね、会いに行くたびに、制作中の作品を取り出して説明してくれた。アトリエに並んだ大作「わが永遠の魂」も時間をかけて説明してくれたという。「ご自身の現在地をしっかり教えてくれた上で、これからこういうのを目指しているんだっていうことを明確にお話しいただいた」家族に伝わらない「自分」に苦悩 松本の種苗業を営む家に生まれた。常に緑に囲まれた環境で育ち、植物のスケッチが幼少期の日課だったという。次第に、自分には人と違う感覚があることに気がつきつつも、それをどうすれば、家族に、もしくは誰かに伝えられるのか苦悩していたのが松本時代だったという。 その気持ちを植物になぞらえ…この記事は有料記事です。残り527文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

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