インタビュー聞き手・興野優平印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする【連載】保阪正康の継昭開来 81回目の終戦の日を迎えます。昭和史の研究を続けてきたノンフィクション作家の保阪正康さんはいま、8月15日の「思想化」が必要だと提唱します。なぜ思想なのか。構想を語ってもらいました。「継昭開来(けいしょうかいらい)」は、先人の事業を受け継いで未来を切り開くという「継往開来(けいおうかいらい)」にちなむ造語です。保阪さんに、専門の昭和史をふまえてこれからを見通してもらう連載の初回です。

[PR]

ぼくたちは長らく8月15日を敗戦の涙、死者を弔う哀(かな)しみ、戦闘が終わった安堵(あんど)のうちに過ごしてきた。不戦の誓いも「二度とあんなことはごめんだ」という感情の延長にあった。 ただ、戦争体験を持つ人が少なくなるほど、そうした感情は忘れ去られていく。いま求められているのは、理性的にあの戦争を分析し、その教訓を自分たちの社会の一つの共通規範として次の世代につないでいくこと。つまり、8月15日を平和への分岐点として「思想化」すべき時なのではないか。東京裁判で裁かれたからこその「裁く」権利 人間の戦争は、投石から槍(やり)、機関銃、大砲と発達を続けてきた。その中で、とうとう原爆をはじめとする大量殺戮(さつりく)兵器にまで行きついた。次に核戦争などの大規模戦争が起きれば、人類の文明そのものが破壊されかねない。だからこそいま、戦争をしない思想・哲学が確立されなければならない。 81年前、日本は戦時国際法を無視した非人道的な侵略を続け、極東国際軍事裁判(東京裁判)では戦勝国から徹底的に糾弾された。ただ、その裁きを受け入れた瞬間、日本はある権利を手に入れた。それは、自分たちが裁かれたのと同じ理念でもって、今度は「裁く」側に回る権利だ。裁かれたことに納得し、だからこそ他国の侵略や非人道的な行いに異議申し立てをする道義的な権利と責任だ。日本が平和国家というのなら、それを実践するべきだ。権力のナショナリズム、共同体のナショナリズム あの戦争では、天皇を神とあ…この記事は有料記事です。残り1539文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

【この記事の続きが読める】有料記事が読み放題のスタンダードコースが初回1カ月無料!詳しくはこちら宅配紙面の購読者なら、ダブルコース半年割がお得です。詳しくはこちら

この記事を書いた人興野優平文化部|「折々のことば」担当専門・関心分野戦争、核をめぐる問題など関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする