インタビュー高田文夫がたけしと変えた笑いの文化 毒舌に街宣車あの事件も転機に聞き手・木村尚貴印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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語る 人生の贈りもの 放送作家・高田文夫(下) 浅草で見た最高に面白い芸人がたけちゃん(ビートたけし)だった。会いたいから適当なNHKのインタビューを企画して、渋谷に来てもらった。終わって居酒屋で初めて話をしたら、下町の貧乏ぶりとか足立区の話とか聞く話全部が異文化なんだよ。世田谷育ちの俺には衝撃的なことばかり。朝までしゃべっても全然話足りなくて、どちらからともなく「で、明日どうしてる?」。毎日飲んだ。 6、7月に文化面で掲載した連載「語る 人生の贈りもの」をデジタル用に加筆、再構成した全3回連載の最終回です。ビートたけしや立川談志との濃密な関係、若手を育てる心意気などをたっぷり語ります。【初回はこちら】ANN・ひょうきん族…放送作家・高田文夫が作る「現代の長屋」【第2回はこちら】高田文夫は味わった 「全員集合」の恐怖と掛布インタビューの反響 そうこうしてたら1980年に漫才ブーム。たけちゃんもブームに乗って暮れの「THE MANZAI」の生放送でスポンサーの商品名まで悪口にする漫才史上一番ウケたネタをやった。この時、年が明けたら俺とラジオの「オールナイトニッポン(ANN)」をやるって決まってて、ネタ番組はさっさと切り上げようと思っていたんだね。 ANNはニッポン放送から、「ツービートの悪口ばっかり言ってる方だけ出せない?」って相談を受けたのがきっかけ。それまで漫才師をピンで出すことは芸能史上あり得なかった。でも所属事務所に聞いたら「貸してもいい。だけどたけちゃんは人見知りだから、絶対高田ちゃんがそばにいること」って条件。ANNは81年から「元旦や餅で押し出す二年グソ」の一声で始まった。トラックの運ちゃんからインテリの大学生まで男だけがリスナーになった。日本の笑いの文化ががらっと変わった。それまでのフォークソングの歌手の「ラジオの前のみんな聴いてる?」なんて語りを全否定。俺は「声は出さず進行は筆談で」って局から言われててテンポも間も合わない。いらいらしてしゃべっちゃったら、ライブショーみたいでいいって。ギャグと笑いで増幅したんだよ。 《毒舌すぎて批判が来た》 ものすごかった。ヤクザや右翼をからかったら街宣車が局に来たり。でも当時制作部長の亀渕(昭信)さんは一切俺たちに教えなかった。「2人は気を使ってしゃべんなくなる。責任は俺がとる」って。3カ月で終わる番組って言われてたからやるだけやって逃げようと思ってたら、大物文化人の小林信彦が夕刊フジに「木曜深夜に日本がひっくり返ることが起きてる。笑いの革命である」って書いた。局も「小林先生がそう言うなら」ってことで続投。気付いたら10年やってた。「間違える男」たけちゃんの短気 《「オレたちひょうきん族」の放送作家としても活躍した》 「タケちゃんマン」や「鬼瓦権造」の台本を書いて、仲が良かった放送作家の景山民夫には「フルハム三浦」ってリングネームをつけて、テレビ朝日を辞めたばかりの古舘伊知郎の実況で「ひょうきんプロレス」をさせた。景山とはそのあとコンビになってラジオや学園祭で漫才もやったね。そんな絶頂の1986年12月、たけちゃんが講談社に殴り込むフライデー事件だよ。 前日俺は、フライデーの記者に連日追いかけ回されてたたけちゃんや、たけし軍団と飲んでた。「短気起こしちゃだめだよ」って言い残して次の日早いから帰った。翌朝カミさんが「昨日たけちゃんと飲んでたんでしょ?」って起こしてきた。テレビを見たら「たけし逮捕」。カミさんはしみじみ言ったよ。「あんたが寝てる間に殴り込んで捕まって、本当にたけちゃんは仕事が早い」 でも、この事件に感謝してる…この記事は有料記事です。残り3421文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません