インタビュー高田文夫は味わった 「全員集合」の恐怖と掛布インタビューの反響聞き手・木村尚貴印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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語る 人生の贈りもの 放送作家・高田文夫(中) 《大学時代、講談寄席の本牧亭で盟友と二人会を開催。自身は「居残り佐平次」を演じる》 小気味良い立川談志の佐平次が大好きで、「どう話せばいいでしょうか」って面識もないのに厚かましく手紙を出した。そしたら「舞台は吉原じゃなくて品川だから潮の香りがした方がいい」とか演出プランを書いた分厚い手紙が返ってきた。当時談志師匠は30過ぎで忙しい時期なのに、どこの馬の骨か分かんない学生にだよ。後年師匠はよく「親切だけが人を納得させる」って書いてたけど「このことか」って思ったね。 6、7月に文化面で掲載した「語る 人生の贈りもの」をデジタル用に加筆、再構成した全3回連載の2回目。放送作家への道に一歩踏み出した高田さんは、「8時だョ!全員集合」「600こちら情報部」などの構成を手掛け、売れっ子になっていきます。第3回は10日配信です。【初回はこちら】高田文夫の粋と文化のDNA 37年続けるラジオは「現代の長屋」 師匠のエピソードをもう一つ。俺が大学4年の時、江戸情緒があった寄席「人形町末廣(すえひろ)」が無くなることになった。落語ファンの学生10人くらいで千秋楽に行ったんだけど、普段通りの高座だった。がっかりして寄席を出たら、月光を背負ったトンビ(和服用コート)姿の男が「お前たち悔しいのか」なんて声を掛けてきた。 それが談志師匠。「暇ならお茶に行こう」って喫茶店に連れてかれて「美学が分かるやつが伝統を継がないといけない。お前たち俺の名前分かるか?」って言うから俺たちは「分かります」。そしたら、「俺は来年議員に立候補する。東京を愛してるやつがいないから、こういうバカなことがまかり通る。受かったらお前たちに寄席を作ってやる。だから来年(投票用紙に)『立川談志』と書け」。そんなやりとりした後に、最後師匠は「じゃ、お前らワリカンな」って行っちゃった。衝撃だよ。 《卒業が近づいていた》 青島幸男の弟子になりたかったけど、少し前に政治家になっちゃったから諦めた。それで永六輔に「お子さんのおしめも替えるから弟子にして下さい」って手紙を書いたら、「弟子なし、師匠なしでここまで来ました。友達としてならつき合いましょう」と返事がきた。その10年後、俺が放送作家になって売れた頃に永さんから一枚のはがき。「今からでも遅くありません。弟子になって下さい」。オチがきいてんだよ。週に何十本と書いた番組台本 紅白も 青島幸男と永六輔への弟子入りは諦めた。学生落語は成功したけど一つのことを続けるのは性に合わないし、今と違って芸人の地位も低かったから、落語家になるのは親に許されないと思った。 ぶらぶらしてたら、大学の学生課に「塚田茂の手伝い募集」の貼り紙があった。「夜のヒットスタジオ」「ラブラブショー」「お昼のゴールデンショー」と、手掛けた番組全部当たってフジテレビの入り口に像が建つって言われてた放送作家。事務所に行ったら、青山のマンションのワンフロアを借り切って、放送作家を十何人も抱えてた。最初に言われたのは「お前、面白いから俺と同じ字を書け」。スタッフに台本書かせてるって思われるのが嫌だったんだな。 1970年代は歌番組の全盛…この記事は有料記事です。残り2420文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません