2026年7月16日 10時17分加藤美帆印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする
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2016年に入所者19人が殺害される事件が起きた、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」には、犠牲者の名前が刻まれた献花台がある。事件当時、犠牲者は「遺族の要望」を理由に匿名とされた。だが刻まれる名前は月日とともに増えてきた。16日に新たに1人の名前が刻まれ、11人になった。26日で事件から10年が経つ。 「命を奪われた19人を忘れないでください。助け合う社会のすばらしさ、大切さを、もう一度考えてみてください」 園の入り口にある鎮魂の碑には、遺族有志の願いがこう記されている。そばにある献花台は事件後、21年7月に設置された。当初は、犠牲者7人の名前が刻まれていた。 県は毎年、19人の遺族に名前を刻むかどうか確認している。22年に1人、23年に2人増えた。姓名をすべていれる人もいれば、名前だけの人もいる。 新たに1人の名前を刻むにあたり、県は「一部の遺族は、その氏名を殊更に強調した報道は望んでいない」と説明し、犠牲者の名前を記事や写真で掲載することを控えるように求めている。「美帆さん」遺族の思い 取材に応じる遺族もいる。最初に名前が刻まれた7人のうち1人が、19歳で犠牲となった美帆さん。母親(62)は、美帆さんの名前にこだわってきた。 事件後、神奈川県警は「現場が障害者の入所する施設で、遺族からの強い要望があった」として、被害者を匿名として発表した。殺人事件の被害者の名前を匿名とするのは異例の対応だった。 事件では、元職員の植松聖死刑囚(36)が、入所者ら45人を殺傷したとして、殺人などの罪に問われた。植松死刑囚に対し20年に開かれた裁判員裁判でも、犠牲者は「甲Aさん」「甲Sさん」といった呼称で審理が始まった。 母親は、美帆さんが記号で呼ばれることに強い違和感を感じていた。「美帆は温かく生きてきた人なのに、無機質な扱われ方が嫌だった」 「帆」は、父親が好きなマリンスポーツから連想してヨットの帆から取った。母親は「美帆という名前が好きでした。音の響きが好き」と話す。 初公判前、植松死刑囚に美帆さんがどのように生まれ育ったのか知ってもらおうと、赤ちゃんの時から成長に応じた写真を、母親の弁護士が植松死刑囚の弁護人に持っていったが、受け取ってもらえなかった。 このままでは、命を奪われた娘がどんな人で、どんな人生を送ってきたのかが相手に伝わらない。弁護士と相談して、初公判を前に犠牲になった娘の名前を「美帆」と公表。「甲Aさん」とされた法廷での呼称は、第3回公判から「美帆さん」に変わった。 母親は名前を明らかにする意味を、こう振り返った。 「いろんな人が覚えていてくれる。誰かの心の中で永遠に生き続ける」有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません






