深掘り「ヨイトマケの唄」が灯した希望 生きづらさに寄り添った美輪さん榧場勇太 永野真奈 比嘉太一 河村能宏印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする
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シンガー・ソングライターや舞台演出家など、幅広い分野で活躍した美輪明宏さんが91歳で死去した。美輪さんは被爆者であること、同性愛者であることを公表し、当事者の一人として、生きづらさを感じる人たちを励まし、支え続けた。歌手で俳優の美輪明宏さん91歳で死去 「ヨイトマケの唄」共感呼ぶ 美輪さんは1935年、長崎市生まれ。10歳のときに自宅で被爆した経験をもとに、平和の大切さを説いてきた。死去を受けて所属事務所が発表した生前の直筆メッセージには「愛があれば戦争なんか起こりません」と記されていた。【全文】美輪明宏さんの直筆メッセージ 原爆の負傷者救護にあたった看護学生を描いた映画「長崎―閃光(せんこう)の影で―」(2025年公開)で、美輪さんは冒頭と終盤の語りを担当した。「壁を作らないような方」 作品を手がけた被爆3世の松本准平監督(41)が、戦後80年の節目に配信される映画に、「被爆者本人の声を作品に残したい」と考えた。当事者である美輪さんに語りを依頼したところ、快諾を得たという。初対面だったが、「大変親しみやすい、人と人との間に壁をつくらないような方だなという印象を持った」と話す。 「原爆のことをまったく知らない人に語りかけるような言葉をいただき、時間と深み、覚悟を感じた」と松本さんは振り返る。収録中、美輪さんから被爆体験を聞いたこともあったという。 松本さんは、映画制作について「心から素晴らしいことだと思う」と美輪さんから声をかけられた。「寂しいし、残念だが、美輪さんからいただいた言葉を大切にして、今後の制作に生かしたい」と松本さん。「信念を貫いた」 長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(85)は「被爆者運動を支えていただき、お礼を伝えたい」と語った。 新聞やテレビで平和を訴える美輪さんを何度も目にしてきた。「全国的に有名になられても、信念を貫いて、核兵器の恐ろしさを伝える発言を続けてくださった」と感謝した。 美輪さんが作詞作曲して、歌唱した「ヨイトマケの唄」(1965年)は、泥にまみれて家族のために働く母の姿を描き、長年多くの人に愛され、勇気を与えてきた。 2013年の朝日新聞の取材に対し、美輪さんは「貧しい人ほど、魂が美しい人が多い。そんな人々のプライドを励ます歌が必要だと思ったの」と語っていた。■「美輪さんがいてくれたから…この記事は有料記事です。残り772文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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この記事を書いた人榧場勇太ネットワーク報道本部(東京)専門・関心分野平和、国内政治、地方自治、沖縄永野真奈東京社会部|ジェンダー担当専門・関心分野ジェンダー、子ども、性暴力関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする







