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芝居町として知られる大阪・道頓堀で、上方の歌舞伎文化を支えてきた大阪松竹座が、26日の公演をもって103年の歴史に幕を下ろします。歌舞伎だけでなく、松竹新喜劇やOSK日本歌劇団、アイドル主演の舞台など、さまざまな公演で人々の心を豊かにしてきました。そんな大阪松竹座の最後の1日を詳報します。16:00夜の部、開場 103年の歴史を締めくくる最終公演となる夜の部の開場時刻となり、松竹座に大勢の観客が入っていった。 東京都文京区から訪れた男性(73)は、仕事で大阪に住んでいた20年ほど前にも、松竹座で歌舞伎をよく見ていたという。「松竹座がなくなるということで、本当に本当に名残惜しい。これを逃すともう機会がないので来ました。片岡仁左衛門さんなどそうそうたる面々から若手の方まで出演されるので、非常に楽しみです」と話していた。15:00「関西・歌舞伎を愛する会」代表世話人は「複雑な感じ」 昼の部が終わり、松竹座から観客が出てきた。正面入口近くには、すでに夜の部の満員御礼を知らせる看板が立っている。 関西の歌舞伎文化を盛り上げてきた「関西・歌舞伎を愛する会」代表世話人の川島靖男さんは、昼の部を見て「役者さんの熱演に、いっぱいのお客さんが大きな拍手で応えていて、一体感があった。今日初めて歌舞伎を見た方がいれば『歌舞伎ってすごいな』と思われると感じました」。 閉館の日を迎えたことに関しては「さみしいですね。本来なら『おめでとうございます』と言うんですが、複雑な感じです」と話した。 東京都杉並区から訪れた70代女性は「今日が松竹座の千秋楽だという思いで見たら、全部良かったです。特に鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)の中村兄弟(勘九郎さんと七之助さん)の息の合った掛け合いが良かったですね」と満足気だった。松竹座閉館は「大阪文化砂漠の象徴」 行政の関与求める歌舞伎支援者14:40隣の「はり重」も臨時営業 大阪松竹座の隣にある、幕間弁当でおなじみのすき焼き店「はり重」はこの日、本来は定休日だったところを臨時営業。X(旧ツイッター)には「最後までお隣で皆さまをお迎えすることにいたしました」とポストしていた。 このポストを見て、洋食屋「はり重グリル」に初めて来店した30代女性2人組は「オムライスがすごくおいしかったです」と笑顔を見せた。この日は推しのアイドルのぬいぐるみを持参し、閉館する松竹座をバックに最後の記念撮影をしにきた。 「応援しているなにわ男子やAぇ!groupがジュニアだったころに、松竹座でよくライブや舞台をやっていました。推したちがお世話になった青春の場所です」大阪松竹座の歩み②松竹楽劇部生徒養成所を開設 日本における本格的なレビュー劇団を目指し、松竹は1922年に松竹楽劇部生徒養成所を開設。松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)が誕生した。23年に大阪松竹座が開場すると、劇場内に養成所を置いた。 26年に大阪松竹座の開場満3周年記念に上演したレビュー「春のおどり」が大成功を収めたことで、松竹楽劇部は興行的にも安定。 34年に大阪松竹楽劇部が「大阪松竹少女歌劇団」と改称し、本拠地を千日前の大阪劇場に移すまで、「春のおどり」は大阪松竹座の人気演目となった。【動画】最終日を迎えた大阪松竹座=木子慎太郎撮影大阪松竹座の歩み①大阪初の本格的西洋式劇場として建築 大阪松竹座は1923年5月、松竹の創業者の一人、白井松次郎によって、大阪初の本格的西洋式劇場として建築された。 披露興行では、ドイツ映画「ファラオの恋」や野村芳亭監督による松竹映画「母」の上映に加え、松竹楽劇部(現在のOSK日本歌劇団)の第1回公演として「アルルの女」を上演した。 洋画の封切り上映だけでなく、新しい舞台芸術の上演も行う劇場を目指した。クラシックコンサートなども開かれ、幅広いジャンルの作品を採り上げた。10:30支配人「感無量」 開場時間となり、松竹座の前にずらりと並んだお客さんたちが建物の中に続々と入っていった。 お出迎えをしていた秀邦彦支配人は「感無量です。今日1日無事に終えられることを願っています」。大阪松竹座が閉館、新劇場の行方は 支配人「模索しているのが現状」10:10昼の部「満員御礼」の看板 大阪松竹座の正面入口の脇に…