インタビュー是枝裕和監督、デビュー作で向き合った水俣病 今見つめる公害の構造奥村智司印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする

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水俣病が公式に確認されてから70年が経った。「産官学」の癒着、地方が負担を強いられる構図、忘れられる加害――。「公害の原点」は今に通じる数々の問題をはらむ。水俣病に関するドキュメンタリーが表現者としての原点にある、という映画監督の是枝裕和さんに話を聞いた。 ――公害を扱った番組を過去に制作されています。 「『公害はどこへ行った…』(1992年)というテレビドキュメンタリーで、川崎製鉄千葉製鉄所の周辺住民が大気汚染の被害を訴えた裁判をめぐる話です。企業城下町で、その企業に対して声を上げるのは相当の覚悟が要る。住民の間でも白い目を向けられます。同じ状況は至るところで見られますが、その最たるものが水俣病だったのではないでしょうか」 「水俣の町を支えていた原因企業チッソの工場が製造する塩化ビニルなどは高度経済成長に必要だった。チッソがなくなると大変、という世論がつくられ、町が立ち行かなくなる弱みにつけ込まれ、地元は被害に目をつぶらされました」僕は「加害」の当事者です 「福島の原発事故の後、計画停電というのがありましたよね。原発がなくなると大変だと危機感をあおって、脱原発の流れに向かないようにする誘導に感じました。水俣病の時と似た構図が繰り返されていると思いました」 ――水俣病は1956年に公…この記事は有料記事です。残り1517文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんこの記事を書いた人奥村智司西部報道センター|論説委員補佐専門・関心分野安全保障/エネルギー/水俣病/カネミ油症関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアする