「タケノコ医者」が貫いた控訴断念 坂口力さん生前語った最後の問い兼田徳幸印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする 元公明党衆院議員の坂口力さんが8月7日、92歳で亡くなった。 2001年、ハンセン病国家賠償請求訴訟で国は敗訴した。当時、政府内で控訴論が大勢だった中、日本のハンセン病政策の誤りを正面から認めようと控訴断念を訴え続けたのが、厚生労働大臣だった坂口さんだ。 医師出身の坂口さんは、自らをやぶ医者にも至らない半人前の「タケノコ医者」と呼んだ。常に弱い立場の人に寄り添おうとした。 「大臣の職を失うことより、人権に背く判断をする方が怖かった」 生前最後となった今春のインタビューで振り返った言葉から、その決断に至る道のりをたどる。坂口力・元厚労相死去、92歳 ハンセン病訴訟の控訴断念「らい予防法って何ですか」 2001年1月。 省庁再編で発足したばかりの厚生労働省の大臣室に、一人の官僚OBがふらりとやって来た。 元厚生省医務局長で、この時、国際医療福祉大学長だった大谷藤郎さんだ。 「実はお願いがあって来ました」 「何ですか」と坂口さん。 「らい予防法の問題です」 「らい予防法(の件)って何ですか」 思わず坂口さんが聞き返した。 その時、ハンセン病訴訟のことは全く頭になかった、という。 大谷さんは言った。 「5月に判決が出る裁判で、国は多分負ける」 その時に国がどう対応するか。 医師である坂口さんがやる以外にない、と大谷さんは迫った。 元患者らは、明治から平成まで続いた隔離政策は誤りだったとして国の責任を問う訴訟を各地で起こしていた。 ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれた感染症だ。だが、患者たちがなぜ90年も隔離され続けたのか。その歴史は知らなかった。「これは、ただごとではない」 坂口さんは、大谷さんが置いていった著書「らい予防法廃止の歴史」など数冊の本を手に取った。 あまりの内容に、何度も読み…この記事は有料記事です。残り2570文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません
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