ストーリー元捕虜収容所で育った板東英二さん 「野球小僧」の笑顔は変わらず藤島真人印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする

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鼻にかかった独特の声色で、喜色満面に語る。ユーモアと、野球愛に満ちた「芸達者」だった。 戦中、戦後の貧困の中で育った。旧満州に生まれ、6歳で徳島県に引き揚げた。一家にあてがわれたのは元捕虜収容所。「なんにもなかった。はっきりいうと、盗んで食っていました」 徳島商高に進み、当時の厳しい練習を乗り越え、1958年の第40回全国高校野球選手権記念大会で花開いた。エースとして準々決勝の魚津(富山)戦で延長十八回引き分け、再試合を演じた。 「学生野球の父」と言われた飛田穂洲(すいしゅう)からは、大会総評で「昭和8年の中京と明石の延長二十五回とほとんど同格の試合」と称賛された。準優勝を遂げ、大会計83三振は、いまも最多奪三振記録だ。「快速球に鋭いドロップ」が武器だった。 この大会で全国に名前が知れ渡り、同学年の王貞治(東京・早稲田実)と「西の板東、東の王」と言われた。だが、ずっと王があこがれだった。 高校野球の第90回記念大会…この記事は有料記事です。残り434文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません関連トピック・ジャンルジャンル印刷するメールでシェアするFacebookでシェアするXでシェアするはてなブックマークでシェアする