ベイルート:50年以上前にテルアビブ空港で発生した死者を伴う襲撃事件に関与した日本の過激派、岡本幸三氏が木曜日、ベイルートで死去したと、同氏を保護していたパレスチナ系組織が発表した。享年78歳。パレスチナ解放機構(PLO)内で第2の規模を誇る派閥である「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」は、岡本氏が長らく病を患っていたと述べた。イスラエルから釈放された後、レバノンに定住して以来、公の場に姿を現すことはめったになかった岡本氏は、PFLP内では「アフマド・アル・ヤバニ」、あるいは「日本人アフマド」として知られていた。PFLPは声明の中で、岡本氏の歩みは「パレスチナの大義を支援するための闘争の戦場において、数十年にわたり多大な犠牲を払ってきた」と述べた。同組織はさらに、岡本氏が「決して妥協も迷いもなく、自らの信念を貫き通した」と付け加えた。岡本氏は、1972年5月30日にテルアビブ郊外の国際空港で発生した襲撃事件に関与したとして、イスラエルの拘置所で12年間服役していた。この襲撃は、日本赤軍ゲリラ組織のメンバーがPFLPとの共同作戦で実行したものとみられている。AP通信の報道によると、1972年の襲撃事件では、岡本氏と同僚2人が欧州からの便でテルアビブに到着し、ライフルや手榴弾を詰め込んだ手荷物を回収した後、発砲し、26人が死亡、数十人が負傷した。岡本氏と同行していた日本人2人は襲撃で死亡し、岡本氏は負傷した。岡本氏は終身刑を宣告されたが、1985年にイスラエルとパレスチナゲリラ組織との間で実施された囚人交換により釈放された。その後、レバノンで政治亡命を認められ、亡くなるまで同国で暮らした。岡本が数少ない公の場に姿を現したのは、2022年5月、襲撃から50周年を記念して、パレスチナ過激派やその他の人物が埋葬されているベイルートの墓地を訪れた際のことだった。パレスチナの過激派とつながりのあった暴力的な極左組織「日本赤軍」は1971年に結成され、1975年のマレーシア・クアラルンプールにある米国領事館の占拠事件など、いくつかの国際的な襲撃事件の犯行声明を出した。PFLP(パレスチナ解放人民戦線)はパレスチナ解放機構(PLO)の過激派分派であり、1970年に4機の西側諸国の旅客機が同時ハイジャックされた事件や、テルアビブからパリへ向かうエア・フランス機がハイジャックされ、ウガンダのエンテベへ強制着陸させられた事件で悪名高くなった。PFLPは木曜日の声明で、イスラエルの空港での岡本による襲撃は、1968年にイスラエル軍がベイルートの国際空港に対して行ったコマンドー襲撃への報復であると述べた。PFLPの指導者アフマド・サアダットは、イスラエルの刑務所に収監されているパレスチナ人の中で最も著名な人物の一人である。サアダットは、パレスチナ人の大量追放を訴えていた超国家主義者であるイスラエルのレハヴァム・ゼーヴィ観光相の2001年の暗殺を組織した容疑で告発された。岡本氏と他の日本人4名は、1975年から90年にかけてのレバノン内戦の混乱期に、パレスチナ系およびレバノンの左翼組織の保護を受けながら同国に不法滞在していた後、1997年にレバノン東部でレバノン当局に逮捕された。 彼らは裁判にかけられ、2000年に他の4人は日本に引き渡されたが、岡本氏はレバノンで政治亡命を認められた最初の人物となった。日本は長年にわたり、レバノンに対し岡本氏の引き渡しを求めてきたが、ベイルート当局は繰り返しこの要求を拒否してきた。 彼は、パレスチナの大義を擁護し、イスラエルに反対したことから、レバノンやアラブ世界の多くの人々から英雄と見なされている。岡本氏はかつて、レバノンでの裁判中に自らを「アラブの抵抗戦士」と表現したことがある。AP
1972年のテルアビブ空港襲撃事件に関与した日本の過激派、岡本幸三氏がベイルートで死去
ベイルート:50年以上前にテルアビブ空港で発生した死者を伴う襲撃事件に関与した日本の過激派、岡本幸三氏が木曜日、ベイルートで死去したと、同氏を保護していたパレスチナ系組織が発表した。享年78歳。パレスチナ解放機構(PLO・・・










