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沖縄尚学の左腕・末吉良丞(りょうすけ)には、忘れられない光景がある。 2025年8月。当時2年生だった末吉は甲子園のマウンドで優勝の瞬間を迎えた。スタンドを埋めた4万5600人の歓声を浴びた。 ただ、一番印象に残っているのはこの光景ではないという。「野球だけしにきた」はダメ 初V導いた沖縄尚学・比嘉監督の指導論 激闘を終えた先輩たちはグラウンドでは笑顔だった。だが、「宿舎に帰った後、3年生がめちゃくちゃ泣いていたんです。今までやってきたことを、最後に一気に思い出したのかな」 その姿に胸を打たれた。 「やりきったって、こういうことなんだ」 最速150キロを誇る世代屈指の投手だ。 1年夏から公式戦を経験した。沖縄大会3回戦の0―6の状況からリリーフし、さらに1点を失った。 試合は0―7で七回コールド負け。「自分の押し出しがなければ、九回まで試合ができた」と泣いた。 その年の秋季県大会で初めて150キロを計測して注目を浴びた。県大会、九州大会で優勝し、明治神宮大会に出場。選抜大会でも投げた。 圧巻だったのは昨夏の甲子園だ。ここぞでギアを入れる投球で強豪校をねじ伏せた。チームとして初の日本一に大きく貢献した。 3年春には3季連続甲子園となる選抜大会に出た。4月にはU18日本代表候補の強化合宿に参加した。 その直後、アクシデントに襲われた。 「(日本代表の)岡田(龍生)監督に『けがだけはしないでくれ』と言われて沖縄に帰ってきて、次の日の練習のことでした」と末吉は振り返る。 ブルペンで投球していたところ、球は走っていたが、コントロールがいまいちだった。「とりあえず1回全力で投げよう」と投じた瞬間、「ぶちっ」と左ひじの中で何かが切れた感覚があった。 突然の痛みで、力が入らない。靱帯(じんたい)の部分断裂と診断された。「本当に何やっているんだろうと」と落ち込んだ。 それからは約1カ月半は全くボールを投げられなかった。 「本当に自分は投げることが好きなんです。投げられないことが苦しかった」 個別メニューでは、グラウンドの外で上り坂をとにかく走った。ひじに負担をかけないように、手首のスナップを鍛える地道なトレーニングも続けた。 比嘉公也監督ら指導者のほか、両親からも「とにかく投げるな」「今は無理するときじゃない」と何度も言われた。 自分がいないグラウンドから仲間たちの声が聞こえてくる。「みんな、楽しそうだな」。焦りと無力さ、孤独と戦った。 地道なリハビリが実り、5月末にキャッチボールを再開できた。しかし、今夏の沖縄大会開幕には間に合わず、背番号10で指名打者に専念していた。 7月18日の準決勝。ついに復帰登板を果たした。6回を投げて被安打2、8奪三振に抑えチームを決勝に押し上げた。 甲子園の舞台は、もう目の前だ。 「いろいろあった高校野球なので、笑って終わりたい。でも、やっぱり自分も泣いてしまうんですかね」 勝っても負けてもやってくる最後の瞬間は、先輩たちと同じ気持ちで迎えたい。