【動画】長崎に原爆が投下されて81年となる9日、高校生たちが「人間の鎖」をつくった。浦上天主堂ではミサが行われた=取材班撮影
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長崎は9日、米国による原爆投下から81年を迎えます。世界各地では紛争が続き、核兵器増強の動きも出ています。犠牲者を悼み、平和を祈る営みをタイムラインで追います。【100人の子どもたちの短い人生を追う】20:00平和を祈って練り歩く 9日夜、長崎市の浦上地区で平和を祈るたいまつ行列があった。出発地点の浦上天主堂では、たいまつ約300本に加え、火を持つのが危ない子どもなどに向けて青やオレンジなどのペンライト約400本も用意された。参加者はたいまつやペンライトを持ち、爆心地公園までの約700メートルを練り歩いた。原爆で傷ついた「被爆マリア像」も参加者によって運ばれた。石原さとみさん「想像で胸張り裂けそう」 母となり原爆の苦難、切実19:00「サッカーできる感謝を正々堂々と表現」 被爆した軍需工場の跡地に立つピーススタジアム(長崎市幸町)で、サッカーJ1のV・ファーレン長崎が京都サンガFCと「平和祈念マッチ」に臨んだ。 試合前には被爆樹木をテーマにした福山雅治さんの「クスノキ」をスタンドのサポーターらが合唱した。長崎の主将・山口蛍選手は「スポーツは国境や言語の壁を越える。いまこのピッチでサッカーができることへの感謝を正々堂々、表現することを誓います」などと宣言した。福山雅治さん「平和に対する思い前進」 被団協のノーベル賞受賞に15:30日米の絆「加害と被害を乗り越えて」 長崎の平和祈念式典で、被爆者を代表して「平和への誓い」を読み上げた本村チヨ子さん(87)=長崎市=と、旧日本軍による真珠湾攻撃を体験し、語り継いでいるドリンダ・ニコルソンさん(90)の対話集会が9日午後、長崎市の長崎原爆被災者協議会の事務所で開かれた。 本村さんは昨年12月、米国で平和へのメッセージを伝える取り組みの中で、ニコルソンさんと知り合い、戦争体験を語り継ぐことの大切さで意見が一致。ニコルソンさんが来日し、「加害と被害を乗り越えて」と題した対話集会が実現したという。長崎県被爆者手帳友の会が主催した。 集会では、まずニコルソンさんが1941年12月7日朝、米国ハワイの自宅で、旧日本軍の真珠湾攻撃を目撃し、逃げた体験など米国側の戦時下の状況を紹介。続いて、本村さんが、被爆体験を語り、この日、「平和への誓い」を読み上げた後、若い人から「(言葉が)心に刺さった。つなぎますから」とハグされ、感激したことなども明かした。 対談では、本村さんが、ニコルソンさんと再会できた喜びを「うれしか」と方言で伝え、両手でハートの形をつくって見せるなどした。互いを理解するために「目と目を見て対話することの大切さを実感した」とも話した。 ニコルソンさんは「私たちは戦争の犠牲になった子供たち。私は戦争が始まった時の、チヨ子さんは戦争が終わる時のブックエンドのような存在。お互いを愛し合うことがいかに大事か、世界の若い人々にどう伝えていくかが重要」と話した。 2人で絵本の出版を企画していることも明かした。ニコルソンさんがフラダンスを披露し、2人で互いに抱き合って、涙ぐむ場面もあった。【更に詳しく】孫の一言、気づいた情けなさ 「心がとける経験」に再会14:00平和とは「お友達と一緒に遊ぶこと」 長崎市の出島ワーフで9日、被爆者から子どもまで、世代が異なる8人が平和について語り合う「ピースサミット」が開催された。 イベントのテーマは「あなたにとって平和とは?」。最年少の作村莉愛さん(5)は「お友達と一緒に遊ぶこと」と話した。参加者最年長の岩井嶺子さん(81)は生後間もないころ、爆心地から約3キロにある諏訪神社でお宮参り中に被爆した。平和を感じる瞬間について、「自分がやりたいなと思うことをずっとやれる時。厳しい時代に育ったから」と話した。【原爆のこと知っていますか】81年前の8月6日と9日に起きたこと サミットは、81年前に原爆が投下されたことには触れずに進行された。主催したファッションデザイナーの鶴田能史さん(45)は「当たり前の何げない会話が繰り広げられる。この場が平和だと思ってもらえたら」と話した。13:55高市首相が会見 高市早苗首相は長崎市で記者会見し、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則について「政策上の方針として堅持していることに変わりはない」と述べた。年末に向けた安全保障関連3文書の改定での非核三原則の書きぶりをめぐっては「まさに検討を進めるところであり、書きぶりそのものについて予断することは差し控える」と述べるにとどめた。 また、核兵器禁止条約は「核兵器のない世界への出口ともなり得る重要な条約であるという認識だ」としつつ、11月から開かれる条約の再検討会議へのオブザーバー参加については「我が国の安全保障の確保と核軍縮の実質的な進展のために何が真に効果的かという観点から検討する必要がある」として慎重な考えを示した。非核三原則見直すのか 高市首相は「現状説明」 被爆者の厳しい視線13:10田中会長「非核三原則を国是とも言わず、後退だ」 長崎の被爆者団体など7団体の代表が、長崎市内のホテルで高市早苗首相と面会した。長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(85)が代表して、非核三原則の法制化や核兵器禁止条約への参加などを要望した。 高市首相は「我が国は非核三原則を堅持しております」と述べるにとどまり、核禁条約については言及しなかった。面会後、田中会長は「非核三原則を国是とも言わず、後退だ」と批判した。 終了後、国が定める被爆地域の外側で長崎原爆に遭った「被爆体験者」らで組織する、第二次全国被爆体験者協議会の岩永千代子会長が、高市首相に直接、被爆者健康手帳を交付してほしいと訴える場面もあった。【社説】被爆地を訪れた高市首相へ 非核三原則は守るべき「国是」だ12:10森保監督も参列「長崎で育ち、心に刻まれた」 サッカー日本代表の森保一監督も9日、平和公園で開かれた平和祈念式典に参列した。式典終了後、平和祈念像の前に向かい、目を閉じて手を合わせた。 長崎市で育ち、広島のサンフレッチェ広島で選手や監督を務めた森保さん。被爆地へ思いを寄せ、原爆の問題について機会あるごとに発言している。 森保さんは取材に「犠牲になられた方に哀悼をささげ、今なお苦しんでいる被爆者の方の穏やかな暮らしを祈った」と話した。 さらに、「長崎で育ち、学校で平和学習を受け、心に刻まれた。戦争が起こったら、原爆が投下されたら、人類にとって、街にとって何が起きるのかということを、子どもたちが知る教育の場があるといい」と述べ、平和学習の大切さを訴えた。【インタビュー】森保監督が掲げる「タフに粘り強く」 ルーツは被爆地【動画】平和祈念式典には、サッカー日本代表の森保一監督も参列した=西本秀撮影12:05首相が原爆資料館を見学 高市早苗首相が長崎原爆資料館を訪れ、館内を約15分間、見学した。長崎原爆資料館によると、1996年に建て替えられた現在の資料館を訪れた首相は、岸田文雄元首相、石破茂前首相に続き3人目で、高市首相が公式に訪問したのは初だという。被爆した長崎の街を再現した地形模型について、説明に耳を傾けてうなずきながら見学する姿が見られた。 首相を案内した井上琢治館長(57)は、被爆して黒こげとなった少年の写真や、原爆投下から81年を迎えた現在まで続く放射線の被害を重点的に説明したという。 井上館長は「(首相に)展示を熱心に見て頂いた」と話した。見学終了後に、2025年度の来館者が89万人だと伝えると「海外の方も含め多くの方々に原爆資料館を訪れてほしいですね」と語ったという。■■■平和祈念式典■■■10:45式典始まる 長崎市の平和公園で平和祈念式典が始まった。11:02黙禱 長崎への原爆の炸裂(さくれつ)時刻。平和祈念式典などで黙禱(もくとう)。11:03平和宣言 被爆2世の鈴木史朗市長は平和宣言を読み上げ、大国の「力による支配」を指摘。国際社会の相互不信と対立・分断を一層深刻化させる悪循環に陥っていると、強い危機感を表明した。 宣言では、13歳で被爆し、長崎を代表する語り部だった故・吉田勝二さん(1931~2010年)が決まって紹介した言葉「平和の原点は、人間の痛みがわかる心を持つこと」を引用した。【平和宣言全文】核兵器は「絶対悪」11:12平和への誓い 長崎市の本村チヨ子さん(87)が、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。6歳の時に自宅縁側で被爆。かばった祖母は約半年後に亡くなった。「私のせいだ」との思いから長い間、被爆体験を語ることはなかったが、今は国内外で証言活動を行っている。 各国の出席者を前に「ロシアとウクライナの戦争は、いまだに終息が見えません。毎日の暮らしにあえぐ人々の姿が目に入らないのでしょうか」と訴えた。【被爆者代表 平和への誓い全文】命の限り平和を叫びつづける【動画】平和祈念式典に高市早苗首相が出席した=日吉健吾、林敏行撮影11:24来賓あいさつ 高市早苗首相はあいさつで、日本は非核三原則を堅持していると言及。「長崎を最後の被爆地に、という誓いの下、核兵器のない世界の実現に向けた現実的かつ実践的な取り組みを推進しています」などと述べた。【高市首相あいさつ全文】被爆樹木の姿 長崎の皆様の姿とも重なる■■■11時2分 黙禱■■■天皇ご一家と上皇ご夫妻が黙禱 宮内庁は9日、天皇皇后両陛下と長女愛子さまが長崎原爆の日にあたり、住まいの皇居・御所で黙禱(もくとう)したと明らかにした。 上皇ご夫妻も、テレビ中継を通じて長崎県での式典の様子を見つつ、住まいの仙洞御所(東京・元赤坂)で黙禱したという。85歳「若い人たちも原爆や戦争の恐ろしさを知って」 長崎で原爆が炸裂(さくれつ)した午前11時2分、長崎市三ツ山町の養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」では、入所する被爆者らが静かに黙禱(もくとう)を捧げた。 ホームによると、定員に近い約350人の被爆者が暮らし、最高齢者は107歳。高齢化が進む中で、被爆の惨状を後世に伝えたいという被爆者の思いが強く感じられるという。 この日、ホーム本館2階のテレビの前には、被爆者約40人と職員が集まり、長崎市の平和公園で原爆犠牲者を慰霊する平和祈念式典の様子に見入った。午前11時2分の鐘の音とともに、強く目を閉じ、胸の前で手を合わせるなどして祈りを捧げた。 長崎県長与町の自宅で4歳で被爆した佐々木千鶴枝さん(85)は「原爆も、戦争も絶対になくさなくてはならない」と強く願った。長崎市の城山国民学校(現・城山小学校)で教員だった姉が被爆し、瀕死(ひんし)の状態で自宅に運ばれてきた姿を鮮明に覚えている。姉は子どもたちへの思いをうわごとのように口にしながら、数日後に亡くなった。「原爆はみんなを不幸にする。若い人たちにも原爆や戦争の恐ろしさ、平和の大切さを知ってほしい」と話した。聴衆はお年寄りばかり 大学生が飛び込んだ朗読ボラで抱いた使命感高校球児「平和の中で野球、本当にありがたい」 第108回全国高校野球選手権大会に長崎代表として出場している長崎日大は原爆が炸裂(さくれつ)した午前11時2分に合わせて、兵庫県伊丹市の球場で黙禱(もくとう)した。13日に予定される有明(熊本)との対戦に向け、練習していた。 長崎市立三川中出身の竹内剛右翼手(3年)は「戦争中は自分と同じ年頃の人たちが兵士となり、野球をすることはできなかった。平和の中で野球ができることは本当にありがたいと思う」と語った。 北九州市出身の梶山風岳主将(3年)は「原爆投下の最初の目標は小倉だったので他人事ではない。世界では戦争が起きていて、野球ができることは当たり前ではないことを考えながら、次の試合は全力でプレーしてみんなに元気と勇気を届けたい」と話した。「頭痛がする」と訴えた兄 「甘えるな」と登校させた父親の深い後悔「長崎の被爆体験者が被爆者と認めてほしいという思い、広島からも応援」 広島市中区の広島平和記念資料館で「長崎原爆犠牲者慰霊の会」が開かれ、広島の被爆者や市民ら約70人が参列した。参列者は長崎平和祈念式典のテレビ中継を視聴し、長崎原爆が炸裂(さくれつ)した午前11時2分に黙禱(もくとう)を捧げた。 広島で被爆した、広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(81)は、国が定める被爆地域の外側で原爆に遭った「長崎の被爆体験者が被爆者と認めてほしいという思いに対して、(国は)認めるべきだし、広島からも応援したい」と話した。■■■8月9日の朝の動き■■■8:35900回目の祈念式「平和遺構を大切にします」 長崎原爆の爆心地から約500メートル西にある長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)で平和祈念式があった。原爆で1400人あまりの児童や教職員が亡くなったとされる。 平和祈念式は1951年から毎月9日に行われ、この日がちょうど900回目。学校で歌い継がれている「子らのみ魂(たま)よ」を子どもたちが合唱した。被爆者を救護した医師の永井隆博士について学んだ平和学習の発表もあった。 校内には、被爆校舎が残る。同校の平和人権委員会の児童たちは、保存に尽力した被爆者、内田伯さん(2020年、90歳で死去)の「目から消え去る物は、心からも消え去る」という言葉を引用し、「思いをしっかりと受け止め、私たちは平和遺構を大切にします」と「平和への誓い」を述べた。 ひ孫が城山小に通っているという被爆者の本多由利子さん(89)も参列。平和を願い、日々折り鶴をつくっており、「思いやりが大切」と話していた。未来を信じて12歳で逝った娘 欲したミカン 母は一生食べなかった【動画】長崎市松山町の爆心地公園で、核兵器廃絶を訴える高校生たちが手をつないで「人間の鎖」をつくった=2026年8月9日午前7時半ごろ、林敏行、寿柳聡撮影07:15高校生らが「人間の鎖」 長崎市松山町の爆心地公園で、核兵器廃絶を訴えて署名活動などに取り組む高校生平和大使ら若い世代の集会があり、県内外から参加した約90人が手をつなぎ、原子爆弾落下中心地碑を取り囲むように「人間の鎖」をつくった。見知らぬ男性救い、13歳で逝った姉 「生きた証」60年後に戻った 集会では、「戦争や核兵器の問題は決して過去のものではなく、私たち一人ひとりが向き合い続けていくべき現代の課題」「これからも学びを続け、声を上げ、活動を続けていく」などとする「若者宣言」が読み上げられた。 第29代高校生平和大使の中尾絢音さん=青雲高校2年=は、「同じ世代の仲間が全国でこんなにたくさん活動しているんだと実感して、うれしくなったし、刺激にもなりました」と話した。07:00浦上天主堂で追悼ミサ 爆心地から約500メートル離れた長崎市の浦上天主堂では、9日午前7時から犠牲者を追悼するミサが開かれた。信者ら約500人が集まり、平和への祈りを捧げた。【動画】浦上天主堂では朝にミサが開かれ、集まった人々が聖歌を歌い祈りを捧げていた=2026年8月9日、長崎市本尾町、小宮路勝、椎木慎太郎撮影 ミサの前から多くの信者が集まり、ベールをかぶってロザリオの祈りを捧げた。ミサでは聖歌を歌い、犠牲者の永遠の安息と、今も苦しむ被害者の癒やしを祈った。 長崎市本尾町の宮崎勝さん(79)は戦後に生まれたが、原爆によって8人の姉を失った。浦上天主堂のミサには毎年訪れているという。 懸念するのは、核兵器を保有する国が今も多数あることだ。「国の指導者には平和について真剣に考えてほしい。そうでないと、次の子どもたちがまた犠牲になってしまうから」「頭痛がする」と訴えた兄 「甘えるな」と登校させた父親の深い後悔■■■8月8日の動き■■■18:40日本被団協、長崎市内で結成70年祝賀会 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は8日、長崎市内で結成70周年祝賀会を開いた。日本被団協や平和団体の関係者約80人が出席。冒頭、原爆犠牲者に黙禱(もくとう)が捧げられた。 日本被団協代表委員の田中重光さん(85)は、主催者あいさつで「原爆の生き地獄を体験した被爆者は何の支援もない中、不安におびえ、いわれなき差別と偏見の中でじっと耐えて生きてきた」と振り返った。「人々は幸せになるために生まれてきた。戦争をするために生まれたのではない」と力を込め、核兵器廃絶と平和を願った。15:30各国大使が次々と献花 爆心地公園 原爆の日を前に、長崎平和祈念式典に参列予定の大使ら各国代表が長崎市松山町の爆心地公園で次々と献花した。「核の傘」への依存や核兵器禁止条約への参加など立場は異なるものの、原爆で亡くなった人たちに思いをはせた。 核兵器禁止条約を批准しているマラウイのジョセフ・チクウェンバ副大使は「平和と調和のため、各国が、こうした兵器を保有する体制を終わらせることに合意することを願う」と話した。 長崎訪問は3回目というボスニア・ヘルツェゴビナのマト・ゼコ大使は、長崎に初めて来た際、原爆の被害に触れてショックを受けたといい、「核保有国の大統領らは、ここに来るべきだ」と呼びかけた。








