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長崎は9日、米国による原爆投下から81年を迎えます。世界各地では紛争が続き、核兵器増強の動きも出ています。犠牲者を悼み、平和を祈る営みをタイムラインで追います。【100人の子どもたちの短い人生を追う】■■■平和記念式典■■■10:45平和祈念式典開式始まる 長崎市の平和公園で平和祈念式典が始まった。【原爆のこと知っていますか】81年前の8月6日と9日に起きたこと11:02黙禱 長崎への原爆の炸裂(さくれつ)時刻。平和祈念式典などで黙禱(もくとう)。11:03平和宣言 被爆2世の鈴木史朗市長は平和宣言を読み上げ、大国の「力による支配」を指摘。国際社会の相互不信と対立・分断を一層深刻化させる悪循環に陥っていると、強い危機感を表明した。 宣言では、13歳で被爆し、長崎を代表する語り部だった故・吉田勝二さん(1931~2010年)が決まって紹介した言葉「平和の原点は、人間の痛みがわかる心を持つこと」を引用した。【平和宣言全文】核兵器は「絶対悪」11:12平和への誓い 長崎市の本村チヨ子さん(87)が、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた。6歳の時に自宅縁側で被爆。かばった祖母は約半年後に亡くなった。「私のせいだ」との思いから長い間、被爆体験を語ることはなかったが、今は国内外で証言活動を行っている。 各国の出席者を前に「ロシアとウクライナの戦争は、いまだに終息が見えません。毎日の暮らしにあえぐ人々の姿が目に入らないのでしょうか」と訴えた。【被爆者代表 平和への誓い全文】命の限り平和を叫びつづける11:24来賓あいさつ 高市早苗首相はあいさつで、日本は非核三原則を堅持していると言及。「長崎を最後の被爆地に、という誓いの下、核兵器のない世界の実現に向けた現実的かつ実践的な取り組みを推進しています」などと述べた。【高市首相あいさつ全文】被爆樹木の姿 長崎の皆様の姿とも重なる【動画】平和祈念式典に高市早苗首相が出席した=日吉健吾、林敏行撮影■■■8月9日の朝の動き■■■8:35900回目の祈念式「平和遺構を大切にします」 長崎原爆の爆心地から約500メートル西にある長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)で平和祈念式があった。原爆で1400人あまりの児童や教職員が亡くなったとされる。 平和祈念式は1951年から毎月9日に行われ、この日がちょうど900回目。学校で歌い継がれている「子らのみ魂(たま)よ」を子どもたちが合唱した。被爆者を救護した医師の永井隆博士について学んだ平和学習の発表もあった。 校内には、被爆校舎が残る。同校の平和人権委員会の児童たちは、保存に尽力した被爆者、内田伯さん(2020年、90歳で死去)の「目から消え去る物は、心からも消え去る」という言葉を引用し、「思いをしっかりと受け止め、私たちは平和遺構を大切にします」と「平和への誓い」を述べた。 ひ孫が城山小に通っているという被爆者の本多由利子さん(89)も参列。「平和が大事。みんなが仲良くすれば」と願っていた。未来を信じて12歳で逝った娘 欲したミカン 母は一生食べなかった【動画】長崎市松山町の爆心地公園で、核兵器廃絶を訴える高校生たちが手をつないで「人間の鎖」をつくった=2026年8月9日午前7時半ごろ、林敏行、寿柳聡撮影07:15高校生らが「人間の鎖」 長崎市松山町の爆心地公園で、核兵器廃絶を訴えて署名活動などに取り組む高校生平和大使ら若い世代の集会があった。高校生たちは手をつないで「人間の鎖」をつくった。見知らぬ男性救い、13歳で逝った姉 「生きた証」60年後に戻った07:00浦上天主堂で追悼ミサ 爆心地から約500メートル離れた長崎市の浦上天主堂では、9日午前7時から犠牲者を追悼するミサが開かれた。信者ら約500人が集まり、平和への祈りを捧げた。【動画】浦上天主堂では朝にミサが開かれ、集まった人々が聖歌を歌い祈りを捧げていた=2026年8月9日、長崎市本尾町、小宮路勝、椎木慎太郎撮影 ミサの前から多くの信者が集まり、ベールをかぶってロザリオの祈りを捧げた。ミサでは聖歌を歌い、犠牲者の永遠の安息と、今も苦しむ被害者の癒やしを祈った。 長崎市本尾町の宮崎勝さん(79)は戦後に生まれたが、原爆によって8人の姉を失った。浦上天主堂のミサには毎年訪れているという。 懸念するのは、核兵器を保有する国が今も多数あることだ。「国の指導者には平和について真剣に考えてほしい。そうでないと、次の子どもたちがまた犠牲になってしまうから」「頭痛がする」と訴えた兄 「甘えるな」と登校させた父親の深い後悔【動画】長崎に原爆が投下されて81年となる9日、高校生たちが「人間の鎖」をつくった。浦上天主堂ではミサが行われた=取材班撮影■■■8月8日の動き■■■18:40日本被団協、長崎市内で結成70年祝賀会 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は8日、長崎市内で結成70年祝賀会を開いた。日本被団協や平和団体の関係者約80人が出席。冒頭、原爆犠牲者に黙禱(もくとう)が捧げられた。 日本被団協代表委員の田中重光さん(85)は、主催者あいさつで「原爆の生き地獄を体験した被爆者は何の支援もない中、不安におびえ、いわれなき差別と偏見の中でじっと耐えて生きてきた」と振り返った。「人々は幸せになるために生まれてきた。戦争をするために生まれたのではない」と力を込め、核兵器廃絶と平和を願った。15:30各国大使が次々と献花 爆心地公園 原爆の日を前に、長崎平和祈念式典に参列予定の大使ら各国代表が長崎市松山町の爆心地公園で次々と献花した。「核の傘」への依存や核兵器禁止条約への参加など立場は異なるものの、原爆で亡くなった人たちに思いをはせた。 核兵器禁止条約を批准しているマラウイのジョセフ・チクウェンバ副大使は「平和と調和のため、各国が、こうした兵器を保有する体制を終わらせることに合意することを願う」と話した。 長崎訪問は3回目というボスニア・ヘルツェゴビナのマト・ゼコ大使は、長崎に初めて来た際、原爆の被害に触れてショックを受けたといい、「核保有国の大統領らは、ここに来るべきだ」と呼びかけた。