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Re:Ron特集「時代のことば」 ウィークネス・フォビア 社会や人間関係において「弱者」「強者」とはなんでしょうか。スポーツなど競技の世界におけるジャッジではなく、日常の場面で強い・弱いや優・劣を判定する人、される人を見聞きします。自身もまた、そのジャッジの主体や対象になっているでしょう。そうした競争が激化し、格差が広がる今、注目される言葉があります。 ウィークネス・フォビア。 「弱さ嫌悪」を意味するこの言葉について、性教育史を研究する堀川修平さんは、「標準的な人間像にとらわれている」社会を映し出していると指摘します。この言葉が生まれ、広がった背景を考えます。教育学者・堀川修平さんインタビュー話題のキーワードや新たな価値観、違和感の言語化……時代を象徴する「ことば」を、背景にある社会とともに考えます。この記事のポイント・意味と成り立ちは・「男性」だけに限らない 広がりを持つ言葉・戦前・戦中から今とのつながり 脱却への道は?Re:Ron特集「時代のことば」これまでのキーワード■意味と成り立ちは ――近年、見聞きする「ウィークネス・フォビア」とは、どこで生まれた言葉で、何を考えるための言葉だったのでしょうか? ジェンダー史を研究する内田雅克さんが、2010年の著書『大日本帝国の「少年」と「男性性」』(明石書店)で提唱した言葉です。内田さんは、「男らしさとはなにか?」という問いを追い続けてきています。 この著書で焦点をあてるのが、大日本帝国時代の少年少女向け雑誌で描かれる男性像。軍国主義下の日本で、どういうものが「男らしさ」として描かれ、子どもたちに影響していたのかを探るなかで「ウィークネス・フォビア」の概念が登場します。 性教育、特にその歴史について研究してきた私も、内田さんの論文、書籍を読んできました。内田さんご自身の経験、暴力被害と加害の経験を軸に展開される『壊された少年』(23年、風媒社)でも、男性が「男らしくない」とジャッジされることで過度に責められたり、仲間はずれや暴力の対象にされたり……子ども時代から虐げられた記憶が語られています。 内田さんの書いたものを参照しつつ、ウィークネス・フォビアを説明すると、「弱さへの嫌悪や排除と、『弱い』と判定されることによって排除されたり嫌悪を抱かれたりしてしまうことへの強迫観念のこと」を指す概念だと言えるでしょう。 内田さんは、いわゆる「男らしさ」を追求する人は、次のような価値観を身体になじませてきた、と明らかにします。 単純に男であること以上に、「強くあらねばならない」「弱いものであったり、弱いと判断されてしまったりするような状態自体を非常に忌み嫌う」姿勢。 他者の弱さに共感を示すことも、嫌悪や排除の対象とする――。 内田さんは、さらに論を進めます。ウィークネス・フォビアは、「女性らしく見られることへの恐怖」も内包しており、それを「エフィミナシー・フォビア(女性らしさへの嫌悪)」と名付けました。「弱々しい」「痛みに弱く」「主張しない」……女性本来の姿には必ずしも合致しない「女性らしさ」。女性への偏見に満ちた考え方が、これらの嫌悪のベースにあります。 この二つのフォビアの前提になっているのは、「標準的な男性像・人間像」が設定されていること。そして、その枠組みからこぼれるひとへの嫌悪と、自身が「こぼれている」と見られることへの強迫観念がフォビアなのです。■「男性」だけに限らない 広がりを持つ言葉 ――男性へのまなざしのなか…








